BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2025年02月28日(金)掲載

“サッカー人として”
2025年02月28日(金)掲載

かつての自分とは競わない 58歳に寄せて

 アトレチコ鈴鹿に新しく加わった35歳の選手が、リハビリしながら「いやあ、最近はもう年で……」とぼやいているのをみて、思わず僕は口走ってしまった。


 「何言ってんの。お前はまだ伸びしろしかないよ。そうそう、いいね、もっといけるよ、良くなるよ!」


 今の知見に照らせば、35歳でもトレーニング次第で選手としてのベストパフォーマンスは出せる。「カズさんに言われたら、そう思えてきました」と、彼もその気になっていた。


 親族に102歳まで長生きしたおじいさんがいる。静岡三大遊び人の一人として名をはせ、実年齢より20歳は若く見えたという。当時30代後半、後に何人目かの奥さんとなる女性は、80歳の彼に「60歳です」と近寄られても疑わなかったとか。


 65歳でもバリバリ働ける人、70代でマラソンを走れる人もいれば、だいぶ手前の年齢で運動を諦めざるを得ない人もいる。年齢と能力は決まったパターンではリンクせず、元気でいられるのは才能の一つとも思えてくる。


 年齢を重ねること自体に後ろ向きなイメージは持っていない。30代でも40代でもサッカーが楽しかったし、60歳になっても同じ感覚でいる気がする。サッカーにまつわる大変さや苦しみよりも喜びが勝るから、幸せに感じられるから、こうして続けていられる。


 でも当然ながら、年に勝てないことは色々と出てくる。肉体の酷使が、他の病気を誘発しかねないリスクにも昔以上に気を配るべき年齢になってもいる。


 某日の練習。シャトルランっぽい反復走りを一定の強度で3本、行った。最後の3本目で最も体がよく動き、ハイになって「4本目もやりたいね」と追加した。その4本目の最中に嫌な痛みが。幸い、大事には至らなかったけれども。


 もっとやりたい、もっと――。もっとやれていた自分がいるし、やればやるほど効果も高揚感も増すとどこかで信じている。でもその「もっと」にワナも潜む。ベテランだけの話じゃない。筋力アップによかれと思い、筋トレで重量を上げすぎた結果、腰を痛めてしまう20代前半の選手もいる。


 過信し、欲張ってしまうのはしょうがなくもあるんだよね。誰だって嫌なんだ。若い頃の自分、かつてできていたベストの自分に負けることが。でも時間は過ぎている。その時々で自分と適切に向き合わなきゃいけない。


 いい意味で、僕は変な競い合いに駆られなくなった。過去の自分とも、周囲とも。隣で若手がすごいスピードで走っている。「俺も」と合わせると逆効果になりかねない。ストレッチでみんなはペタンと柔らかいのに、体の硬い僕は同じようにできない。でも、正しいフォームで特定部位を正しく刺激できれば、ストレッチの効果は十分得られる。


 1キロ6分ペースで30分走っていた持久系練習なら、6分半に強度を落として60分走ってみる。正確さを追求し、しっかり、時にはじっくり。何を競うのか、「もっと」の方向性を見誤らないように。そして今、この瞬間のベストを尽くす。人生のそれぞれのステージで、味わえるそれぞれの幸せがあり、58歳には58歳なりの伸びしろがあると思っている。


 しかしながら、自分を良く知るというのは難しい。この年でもなお、はやる気持ちのコントロールがうまくない。ささいな事で腹を立て、いらだち、後になって「なぜ心に余裕がなかったんだ」と反省しきり。一事が万事、それはプレーにも反映されてしまうものだから。


 律すべきを律し、正しくありたい。58歳、まだまだ修業が足りません!