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何かに取り組んでいれば、想定しなかったことにも見舞われる。シーズン準備期のこの季節、僕は少し出遅れている。
自主トレにいそしんだ12月は調子が良かったのだけれど、1月に筋肉周りの違和感が出た。そこからはチームとは別調整で、ようやくボールを扱いつつ強度を上げ始められている。
体を一からつくりこんだはずが、また一から作り直す振り出しに戻ってしまい、もったいなくもふがいなくもある。でも、あたかも一歩進んで一歩下がり、思い通りに進まないことなんて付き物だし、明日どうなるか分からないリスクとも、昔より強く自覚して向き合っている。
満足に走り込めるようになったら鈴鹿市は寒波に襲われ、筋肉には優しくない。まったく、サッカーの神様はいつも試練を与えてくれる。
こうした足踏みの時、焦るのは逆効果であることが、ベテランの域になってやっとのみ込めてきた。何とか開幕に間に合わせる、などとせいては事をし損じかねない。焦らず、細部に気を配り、今できるすべてのことを。大変だけれど、今でもこのやりがいのある大変さをもらえるなんて、こんな喜びもない。
52歳の葛西紀明選手がスキージャンプの大会で2週続けて優勝を飾った。若い有望株らもレジェンドに負けたくないと必死で取り組んでいるはずで、そこを上回っていくのだから、表立たないところでの努力に感服しかないよ。
サッカーは団体競技であり、自分に足りないものを助けてくれる周りの選手がいて、その人々に足りないものを助けられる何かが自分にはまだあると思いながらやれている。でも、ジャンプ競技は「シャンツェ」に立てば独り。そして記録はごまかしが利かない。飛距離を1メートル伸ばそうとするほど、ケガの危険度もいや増すはずだ。
そこで52歳でも勝負できる分厚い技術と経験知。リスクを背負う覚悟と、技術を下支えする体力。僕もそこにフォーカスしていかなきゃ。
ベテラン世代に対して、世間では「老害」という言葉も飛び交うらしい。思うに、スポーツ界でその域の選手と実際にチーム内で同じ時間を過ごし、その人が毎日している努力を間近で見ている若手らには、老害ってピンとこないんじゃないかな。「老」とされる人々が日々何をしているか、見えていない人ほど、老=害ととらえがちな気がする。
その逆、「若害」もしかり。どんな時代にも年上に反発心を抱く若者がおり、「今の若者は」と苦言を呈する年長者もいたわけで、そうなりがちな間柄とも思う。
道の真ん中をご老人がゆっくり歩いていて、通りづらい。「もう少し速く歩いて」「どいてほしい」と感じる人はいるだろう。いつからか、そんな場面に出くわすと僕は「自分もいずれはそうなるのだから」と受け止めるようになった。機内や車内で赤ん坊が泣き叫べば、うるさい。客観的事実としては。でも誰だって、自分もそうだったのだから。人間って、自分がその存在に近づかないと、よく見えてこないものがあってね。
「ベテランがなぜチームに必要なのか分からない」と話す高卒・大学世代の選手もいる。彼らもプロとして歩むうちに、ベテランの価値や意義を、彼らなりの形で理解していくだろう。おおらかさや寛容、認めるべきを認める感受性を、お互いに持っていたい。
でも、無理に分からなくても、構わない。若い世代は元気良く、勢いと若さに任せて突っ走ってほしい。その若さを、経験ある人間が支えながらコントロールしてあげればよいのだから。