BOA SORTE KAZU

  • Home
  • Message
  • Profile
  • Status
  • Column
Menu

BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2024年09月13日(金)掲載

“サッカー人として”
2024年09月13日(金)掲載

チームになっていくステップ

 チームとは不思議な生き物だなと、東海社会人リーグ1部に属するFC刈谷は驚いているんじゃないだろうか。9月8日に僕たちアトレチコ鈴鹿は日本フットボールリーグ(JFL)4位のヴィアティン三重に2-0で快勝。その3週間前、練習試合で鈴鹿は1つ下のカテゴリーの刈谷に0-6で大敗しているのだから。


 あのつまずきはリーグの中断期間中。5バックに取り組んではいるものの、メンバーの動きと考えがどうもかみ合っていないときだった。組織として守備をしっかりやらないと、勝てっこない。一人ひとりが頭にあること、やりたいことをしているだけでは、まともな試合などできない。つながらなきゃ、サッカーにならない。冷徹な現実を、全員が痛感したんだと思う。


 こう守る、こう攻める。日々の練習で練り上げ、失敗しながらも繰り返し、この2週間ほどで輪郭がはっきりしてきた。そして試合で、自分が何をしなければいけないのか、各自が意識して遂行できた気がする。勝つか負けるかまでは断言できない。それでも「こうすれば守り切れる、攻め切れる、勝ちうる」という実感を積み上げていければ、大崩れはしなくなる。チームの力が立ち上がってくる。できることが増えていく。


 三重戦を見に来た自称「サッカー素人」の友人は、僕らのチームが「きれいで無駄な動きがない」と映ったという。「配列が整っているというか。選手がいるべき場所にいて、持ち場でしっかりやる。ゴチャゴチャした印象を受けない。だから簡単にプレーしているように見える」


 個人の弱点は、ピッチ上のどこかであぶり出されるものなのだけれど、サッカーにおいてはチームが機能している際にはその弱点が目立たなくなる。1対1で完結する競技じゃないから。一人の作業をカバーしてくれる人間が、周りにいる。


 三重戦で65分から交代出場した僕も、良い組織の流れに乗って役割を全うできた。「よく動けていた」と褒められたのは、個人としての僕がチームの戦術のうえでも機能していたということ。割り当てられたのはシャドーストライカー。守備に相当、奔走したつもり。


 実は再び鈴鹿に加入して出場した最初の2試合は、自分が役に立てていない感じがしていた。あの時は最もゴールに近いセンターフォワード。ゴールへのこだわりはもちろんある。でも今のチームでゴールのことだけ考えてプレーするのは、むしろマイナスに思えた。


 やりたいことができないことの方が多いのが、サッカーの常。ある種の犠牲心がなければ選手など務まらない。「得点のことだけ考える、というマインドにはなれないんだよ」と同僚に話すと、驚かれる。「あれだけ得点しているから、てっきり、ゴールしか考えていない人だと思ってました」


 噓じゃなくて、僕はDFの位置まで下がって守備に走ることも全く嫌じゃない。原点はサントス時代のウイングにあるし、守備でも貢献すべきなのは当たり前だと思ってきた。ゴール前で待ち構えて得点だけに専念する方が、むしろ居心地が良くなくて。


 三重戦での惜しいFKよりも、守備でカバーすべきところをカバリングでき、ボールをいい位置で受けてリズムをもたらせたことの方が、自分としては評価されたいし、重視しているし、達成感の源泉もそこにある。


 やらされている「献身」じゃない。個人が納得し、確信できたうえで、つながって得られる充足感のようなもの。連動できれば、一人じゃ果たせない「いい仕事」だってできる。チームとは面白いものですね。組織と名付けられるものは、みなそうなんでしょうね。