BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2024年08月30日(金)掲載

“サッカー人として”
2024年08月30日(金)掲載

SNSに向かわずカフェで語らう

 時代から置いてきぼりにされているのかもしれないけれど、僕はSNS(交流サイト)の世界に、ほぼ関わっていない。


 日本のサッカー選手でインスタグラムのフォロワーが多いのは香川真司選手(約180万人)などだと聞く。それだけすごい価値があることを示す数で、これがポルトガル代表ロナルドになると、なんと6億3千万人。母国の人口(約1040万人)のざっと60倍だ。


 僕がテレビに出演するとして、「見てね」と友人にLINE(ライン)を送っても、せいぜい30人に知らせられるかどうか。フォロワーが十万人単位の選手であれば告知の力は段違い。ロナルドがSNS上で100円の価値がある何かをしたら、630億円相当のとんでもないビジネスが立ち上がる可能性もあるわけだから、ビジネス面でみればスポーツ選手がSNSを活用していくのは求められることでもあるだろう。


 一方で、SNSの場で選手が誹謗(ひぼう)中傷を受けたと取り沙汰されない日もない。どこからが誹謗中傷でどこまではそうでないのか、明確な線引きが難しい事柄ではある。とはいえアスリートに限らず、未熟な人であれ誰であれ、一生懸命にやっている人が心ない身勝手な批判に接すれば傷を負うことは紛れもない事実だ。


 言う自由があるとしても、その自由は責任も伴う。だから批判する方が匿名というのは公平じゃない。ただ、顔を出して名を名乗れと求めれば解決することでもないだろうし、自らに正義があると信じて言い張る人たちに、あなたの正義だけが唯一の正義ではないと理解してもらうのは簡単じゃない。


 そもそも、誰かの不出来や失敗をたたき合い、罰し合うより、議論し合うべき大事な世の中の課題がもっと他にあるのではという気もしてくる。そんなわけで、よほどでなければ「見ない」という単純な解決法を選ぶことになる。


 承認欲求の延長で、自分のことを検索して評判などを調べる「エゴサーチ」も、初めて聞いたくらいで、一度もやったことはない。「いいね」や「高評価ボタン」の数にも興味がない。人からどう思われるかも大事だけど、一番は自分がどうあるべきか、自分が満足のいく仕事を本当にできているかどうかだから。できていないならなぜなのか、まずは自分にベクトルを向けて、頑張り、足りないことをやっていく。


 僕はどうにもアナログ派で、スケジュールも紙に書き込んでしまう。覚えるためのポルトガル語の単語も、把握するための体重も、小さなノートにびっしりしたためる。そしてSNSより、カフェで知人の顔を見ながら対話する時間を好む。サッカーのことや自分を取り巻く社会のことを語らう。あるときは時間がたつのも忘れてしまう。


 同じ「バカ」という一言でも、「バカだなあ、もう」と柔らかく言われれば腹は立たない。「バーカ!」と吐き捨てられたら、頭にくるかも。面と向かって相手の表情を見ながら、声音を聞きながらであれば、込められた感情やニュアンスをくみ取れる。字面だけだとそれが分かりづらい。


 議論を交わすにしても、顔をつきあわせてやり合うのなら、また違った経過をたどり、無用に傷つけ合うことも減るかもしれない。独り歩きしがちな文字だけの空間で、意思の疎通を完遂するのは大変だ。


 だから文字というものは怖いのだと、頭の片隅に置いておきたい。文字に対して慎重でありたい。言葉を大事にしたい、ということでもあるだろうね。