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シーズン最終戦を前に、監督と差しで向かい合った。これまでの起用法について申し開きをする彼に、僕は応じた。「俺をいくつと思っているの。俺の方が15歳、年上だよ。あなたの気持ちも分かるよ」
20代のころならぶん殴っているよ、という本音は押しとどめておいた。自分からみた自分、監督からみた自分。視点が変われば見方も変わる。色々なことがのみ込めてしまう年齢に僕もなったということかな。
当然、納得のいかないこともあった。取りたてて練習もしていないユースの選手が、いきなり同じポジションで起用された日には腹が立った。「あなたは日ごろ、『練習がすべて』と言ってきたじゃないか」と。
でも、この程度の理不尽なんてものは人生にいくらだってある。無駄にいきり立ち、避けるための方策にすがりだすほど、僕はやわじゃない。
30分間ほど出場した最終節。おあつらえ向きのボールがゴール正面の僕の前に転がり込んできた。とっさに、右にいた味方へヘディングでパス。「どうして打たなかったんだ」と仲間からはチャンスを惜しむ声も掛けられた。そうかもしれない。もっとわがままでよかったのかもしれない。そこが難しいんだよね。選手ってコンスタントに出場できていないと、理想的な判断を無意識に下す力が鈍りがちになる。
次こそ、次こそは――。出場機会になかなか恵まれなかったオリベイレンセでの1年4カ月、そんな一心で駆け抜けてきた。次、出たらゴールする。その1点だけを追い求めていた。
三度の飯を取り、練習し、ケアして眠る。中学生の合宿のような日々に、込められるだけの熱量を注いできた。ゲーム形式の練習でゴールを決める。自分の体が理想通りに動く。至福に浸れたときもあれば、「だめだ。終わりだ」と自分を呪った日もあった。
何歳も若い連中に交じって息を切らし、バチバチと体をぶつけ合ってうめく。ただし試合で出番は少なく、心はきつい。満足もできない。
そうやってもがく僕の姿が「幸せそうにみえた」と、来訪してくれた長谷部誠選手がどこかで書き記してくれた。楽しげな何かを、力になる何かを、感じ取ってくれたという。
あえて、チームで一番足の速いアフリカ出身のFWと隣になってダッシュを競う。食らいつこうにも、僕はみるみる離される。無残な光景を目の当たりにして播戸竜二さんはつぶやいた。「羨ましいですよ。こういう場所で、五十何歳になっても、戦い挑めるなんて」
結果の伴わなかった1年4カ月を、プロとして是とすることはできない。オリベイレンセでの僕は「大失敗」もいいところだ。でも、幸福という基準でみれば存外に大成功なのかもしれないね。だから、続けてこられたんだと思う。
Jリーガーが現役でいられる「寿命」の平均は4年ほどという。小さいころから続けてやっとたどり着けるこの世界を、かみしめられる時間はそう長くない。そこに39年ほど居続け、まだやめようとしない僕に「現役にしがみついて……」と眉をひそめる人もいるんだろう。
そりゃあ、しがみつきもしますよ。これほどの素晴らしさを味わえるのだから。汗水流して、懸命にしがみつくだけの価値があるものだと思っています。
つかの間の休息に入る僕らにこちらの監督は言った。「3、4日もすればまた、この芝生の匂いが懐かしくなるに決まっているさ」。少なくとも僕に関していえば、また、もがきたくなるに決まっている。そして何かに挑むにあたり、遅すぎるなんてことは何一つない。現役として生きることが、たとえ、失敗にまみれたようにみえるときがあるにしても。