BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2024年04月26日(金)掲載

“サッカー人として”
2024年04月26日(金)掲載

キャプテン・ハセの心配り

 「まるで日本のカカだね」


 浦和レッズでデビューしたころの長谷部誠、「ハセ」の第一印象を思い出す。当時、名をはせたブラジル代表の名手のように、ピッチ中央からゴール前まで一人でボールを運んでいけた。「すごいね」という感想が人づてに本人へも伝わり、自主トレ帰りの空港で引き合わされたのが20年ほど前のこと。


 そんなハセは、攻撃的MFからボランチへ、リベロへ、そしてキャプテンという役割にも自分を適合させることができた。時代の流れ、サッカーの変化にアダプトできる特性なしに、16年もの年月をドイツの第一線で活躍し続けることなどできなかっただろう。


 この14年ほどは毎年、夕食会をともにしている。「某監督にはこう対応しましたね」「チームの苦しいあのときは、こうして」。キャプテンの日誌みたいな体験談が逐一面白く、耳を傾ける時間は僕にとって、代えがたい学びのひとときでもあった。


 自分が前に出ることで組織を引っ張るリーダーがいる。ハセはまずは一歩引き、自らは監督と選手の間に入って、うまくとりまとめてきたんだろうと察する。


 僕などは「まあ、自分が一番」と心のどこかで思っているタイプ。「それがセンターFWですよね」と、ハセによく言われる。世のサッカーチームは大半が僕みたいに自分の考えが強い人間の集まりで、日本代表ともなればなおさらだ。皆が言いたい放題、好き放題していたら収拾が付かない。エゴイストばかりではまとまらず、キャプテンシーのある人間だけの集合体でも強くはなれない。


 若いころの僕は、自分の成果は自分の力によるものだと思っていた。実のところは、表立たないところで「カズはカズのままでいい」と背中を押してくれる先輩がいて、監督、世間からの批判などとの間に立って取り持つ人々がいたからこそ、やりたいようにやれたのだと今になれば分かる。そうやって間を取り持つ大役を、ハセは日本代表だけでなく、インターナショナルな世界で全うし続けてきた。


 我らのキャプテンは夕食会のアテンドもしてくれる。「この店、どうやって見つけたの」と尋ねたら「いや、普通に。ネットを調べたら良さげな人気店があったんで、直接予約してみました」という。どうりで店の人がざわついていたわけだ。名もなき人のように予約してきて、どんな客かと思えば、ハセに続いて長友佑都、香川真司、僕がぞろぞろと入ってきたわけだから。


 引退表明に先駆けて、電話をもらった。「カズさんにだけは、言いづらいことです」。57歳を置いて先に身を引くことへの、40歳のはばかり。周りに目を配れるハセらしい、最大の敬意だと受け止めたい。


 後輩の松井大輔から引退の意思を告げられた際、僕は「認めない」と拒んだ。彼がプロ1年目からのなじみで、僕にいわせれば「永遠の18歳」が辞めるなんて受け入れがたかったから。このいきさつを知るハセは電話口で笑っていた。「僕も『認めない』って言われるんじゃないかと」


 認めないも何も、僕がどうこう言える範囲を超えちゃっている存在のハセに、そんなこと言えないでしょ。