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誰しも、仕事に就き始めたばかりのころは壁にぶつかるものだ。「想像していた以上に、きつい」「自分に合わないのでは」「何かが違う」。思い煩う新入社員の方々も多いんだろうね。
プロサッカー選手も例に漏れず、どうしても新人は、試合でプレーするという最大の仕事になかなかたどり着けない。試合に出られる人間は当然ながら限られる。でも当人たちは「仕事をできる」と思って来ているわけだから、ギャップに苦しむ。
自分も身に覚えがあることで、飛び込んだブラジルでまだ何者にもなれていない16、17歳のころ、「ここにいては先がないのでは。違うクラブへ移りたい」と考えもした。隣の芝生は青く見えてね。実際には、理想の新天地にみえた場所とて、大きな差はなかったかもしれないのに。
そんな時に先輩方によく言われた。「一度逃げた人間は、次に嫌なことがあると、また逃げ出す」。辛抱も大切なんだ、逃げることに慣れるな、と。
サッカー選手の業界に限れば、仮に嫌な監督や同僚がいたとしても、試合や練習の間だけ耐えれば済む。1日約90分ほどの我慢。でも、そうはいかない職業もあるものね。
殺人を犯した女性囚人2人が舞台のスターになっていくミュージカルが原作の映画「シカゴ」にこんなシーンがある。共演を持ちかけられた片方が「一緒にはやらない。あんたは嫌いだから」と拒む。もう片方はこう応じる。「それが、舞台で何の問題になるっていうの?」
自他共に認めるほど仲は悪いのに、何十年も連れ立って、立派に稼ぐお笑いコンビもいる。「合わない」はずなのに、それでも成り立つビジネスがある。
とある本によれば、何事も好きか嫌いかで判断しないほうがいいらしい。一かゼロの二択でなく、度合いでとらえてみる。「この人は怒りっぽくて理解できない面もあるから90点じゃないけれど、60点だからまあいいか」「40点くらいだけど腕は立つし、付き合えなくはないわね」といった具合に。こだわることは大事だけど、完璧の百点満点ばかりをいつも望めるものでもないし。
もちろん、今いる場所と違う地平を目指すことが正しいときもある。逃げるべき災難もあれば、辞めることから開ける未来もあるだろう。同じように、我慢と継続から見えてくる光もある。出場機会に恵まれない今の僕なども、まさにそうすべきなんだと思う。
苦労は、どこへ行ったところでついてくるもの。何を求めてその職に就いたのか、どんな自分でありたいのか。初心を忘れずにいたい。やめることは簡単、続けることは難しい。経験から顧みるに、僕としては、我慢して続ける方にちょっと比重を置きたくなる。