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賭け事やアルコール、ゲームやインターネットなどに自分を見失うほどのめり込む状態は、意思の力だけではいかんともしがたい依存症だと聞く。やめろと言われても、やめられないのだと。
20代のころはみんなでよくラスベガスへ旅行した。ギャンブル好きな知人は食事の席でも気がそぞろで、負けても「何とか取り返す」と、遊びでは済まなくなっていた。
僕はというと、カジノで手元の百万円がたった10分で消え去った時、「取り返そう」ではなくて「こういうものなんだ」と思った。必死で稼いだお金が一瞬でなくなるなんて、腹立たしく、許せなかった。30歳になる手前かな。あれ以来、ギャンブルとは距離を置いている。
株や投資でも、桁数はどうであれ、お金はなくなるときには一瞬でなくなる。生々しいくらい怖いよ。
1万円の遊び、十万円の遊び、百万円の遊び。価値観と尺度は人それぞれで、人によっては趣味に1千万円を投じもするだろう。いいワインを味わえるのなら、百万円つぎ込むのも惜しまない友人もいる。その彼は僕と一緒に行った家具屋で、約50万円のじゅうたんを「こんな高いもの、買えないな」と嘆いた。「あなたね、50万円以上のワインを平気で飲むじゃない」と突っ込むと、彼は「そうなんだよね。おかしいよね」と苦笑い。
僕は着るものにこだわるし、それは身なりを整えると気分も高まるなどのメリットも感じるからで、お金も投じる。とはいえ借金してまではしない。自分の収入に応じて「ここまでなら」という範囲がある。この「ここまでなら」を間違えちゃいけないんだ。おのおので自分のルールを決めるということだろうね。
何かの沼にはまるとき、脳では報酬系が刺激され、気持ちよさが生まれるらしい。その報酬を脳が欲するあまり、抜けがたくなる。
5万人の前でプレーし、ゴールし、ゾクゾクするほどの声援が自分に注がれるときの名状し難い高揚感。体と脳をビビッと駆け巡る刺激と快感。あれも、一度味わうとまた求めたくなる報酬かもね。
今でも、午前の練習をいい手応えで終えた午後の僕は頭も体もさえわたる。快感と期待を呼ぶ神経伝達物質「ドーパミン」が脳内に満ちる感じ。で、心地よくくつろいだ後の夕方にふと、「なんだこれは」と肉体が受けたダメージに気付く。効果が切れたみたいに。
心拍数が毎分110くらいの緩い運動だと、僕はあまり楽しめない。180くらいに限界近くまで振り切る方が、きつくて仕方ないのに、ドーパミンの力なのか気持ちがいい。楽になる。「なんで苦しい方が楽なのよ」と、周りの人は理解できないみたい。それでも僕はまた次の日、練習したくなる。あしたへと、走り出したくなる。
これって客観的にみたら、ある種のサッカープレーヤー依存症じゃないかと少し怖くなります。