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「史上最強」と目されるときほど、最上の結果からは遠のくことがある。勝って当然とされることのプレッシャーが生じるし、相手の闘争心も上がってやっかいさも増す。科学的根拠はないけれど、最強の状況ほど嫌な予感もするものなんだ。
2006年ワールドカップ(W杯)のブラジル代表はロナウジーニョら世界最優秀選手賞受賞者が一堂に会していた。この20年でみても、当時を超える「個」の集まりはそうそうない。その最強軍団が準々決勝で勝てなかった。そのことが「セレソン」の分岐点になったかのように、何かと尾を引いている。2014年W杯の日本代表も「最強」の看板を背負った。本田圭佑に香川真司、内田篤人。ただし1次リーグを突破できなかった。
再び「最強」とうたわれた今回の日本代表において、個の実力に疑うべきものはない。アジア・カップから感じたのは、日本が強い・そうでないということよりも、何かをきっかけに11人が「やれる」と自信を持った途端に、とてつもない力の奔流が生まれるサッカーの怖さだ。
2022年のW杯準々決勝。延長戦前半にブラジルがリードした。決着は目前のそこから、クロアチアが火事場のばか力を繰り出す。連動性の強いこの競技において、11人が迷いなく結束したときに生み出される力のすごさ。名だたるブラジルの選手が平静でいられなくなり、ばたつき、まさかで追いつかれた。
パリ五輪の出場権をかけた2月11日の決戦で、ブラジルは引き分けでも道は開けたけれど、勝つしかないアルゼンチンに退路はなかった。その違いから生じる微妙な力学は、ブラジル敗戦、パリ五輪行き消滅という結末にも作用したと思う。
自分を疑ってもいないし、相手を見下しもしていないけど、「何が何でも勝つ」ではなく「勝てるでしょう」と構えてしまう。無意識に潜むワナなら、僕も身に覚えがある。W杯でドイツやスペインに勝ったから、アジアでは楽勝できるなどという三段論法は成立しない。200億円規模のクラブが20億円の小クラブに引きずり倒されることは、欧州では驚きにすらならない。ランキングや序列の差など意味をなさなくなる力、それがサッカーの醍醐味だし、歴史でもある。
学びを次に生かしてほしい。僕としては食事会でも催して、現代表メンバーがドーハで何を感じたのか聞いてみたい。念押ししておきますが、森保一監督のスパイではありませんので。