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野球で大谷翔平選手クラスのプロが3回ずつ投げたとしたら、仮に油断があったとしても、高校生が打ち崩せるなんてまずあり得ないでしょう。大学王者といっても、相撲であれば、横綱が相手だと跳ね返されてしまうのが関の山なのでは。
これがサッカーだと、高校生が横浜F・マリノスをPK戦まで追い詰められる(2003年天皇杯の市立船橋)。スコアや結果が、力の差通りにならないドラマのいかに多いことか。韓国は強豪だからマレーシアには3-0、4-0で簡単に勝つだろうと思いがちなところが、シーソーゲームの末に3-3ともつれる。これがアジア・カップなんです。
二十数年前、大会前の練習試合では手応えのなかったアラブのチームが、アジア・カップになると突然足を出し、捨て身でタックルしてきたことを思い出す。アラブで戦うときの彼らは、東アジアや日本での姿とはまるで別人になる。
日本人はパフォーマンスが一定、常に勤勉で、それが長所であり物足りなさでもあると批評的に言われる。アラブ各国、南米や欧州でもそうだけど、彼らは普段はそうでもないのにギアが入ると出力が3割増しとばかりに振り切れる。「こんなに違うの」と恐ろしいくらい。
みなギアが一段上がる、上がるということは集中力もみなぎる。そんなわけで決勝トーナメントにおいては、1次リーグの内容や結果がどうだかはまったく参考にならない。それこそ別物、接戦でギリギリの攻防の連続になる。僕に言わせれば、サッカーで強いチームが勝つならば、この20年でワールドカップ(W杯)をブラジルが優勝しているはずなんです。それが、自国開催の2014年で4強に進んだ以外はベスト8で敗れている。
1996年のアジア・カップ。僕らは1次リーグで3連勝と順風だったのに、決勝トーナメントの初戦でクウェートにまんまとやられた。思い返せば、「まあいけるだろう」という緩みめいたものが、気付かぬうちに生まれていた気もする。
それはまかり通らないという、サッカーにおける本気の力や怖さを今大会で体感できていることが、イラクに敗れたことも含めてすべて日本にプラスに働いてくれると信じている。
ドーハで戦う選手らにLINEをすると、具体的な文言はなくとも、「頂点に立つ」という意識がひしひしと伝わってくる。手ぶらで帰る気がさらさらない。がぜん、代表の戦いが面白くなってくる。