©Hattrick
「勝利とデビュー、おめでとう、ミウラ」。4月22日にポルトガルで初めて出場を果たした僕を、選手全員がハグして祝福してくれた。
街の人々から寄せられる温かい言葉。ポルトの海沿いの行きつけのレストランでも握手攻めに遭った。用を足しに行く僕のあとを、なぜだか店員さんがつけてくる。「トイレでいいから一緒に写真を撮ってくれ」。ツーショットをおおっぴらには頼みづらかったのかな。
一人のサッカー選手がデビューするという一事を、こうして手厚く祝福する習慣は日本だとあまりない。人がなにがしかの舞台へ立つには、若者であれ何歳であれ、人知れぬ努力も重ねてそこへ至っている。その事実に対するリスペクトが、ここでは根付いている。
「君がケガで困難を抱えていたときのやり取りを思い返せるだけに、こうして最初のプレーに付き添えたことに喜びでいっぱいだ。苦しい時でも忍耐強く、歩みを止めなかったことが、素晴らしい時間への道を開いたんだ。君のプロフェッショナリズムに祝福を。素晴らしい時間はもっとやってくるぞ」。フィジカルコーチから贈られた言葉が、胸を打つ。
一介の外国人選手が、追加タイム込みで5分少々プレーしただけかもしれない。でもその短い時間に向けられた多くの人々の思いを受け止めてみれば、日々の生活を彩るものとして、一介の娯楽の枠に収まらないものとして、サッカーが人々の心のしっかりとした場所を占めているのが分かる。90分なら重く、5分なら軽いのではなく、量とは違った尺度で生まれる価値の重みも感じられる。
監督は練習のときと同じく、頭をなでて祝ってくれた。12歳年下に頭をなでられるのも妙といえば妙な感覚で、56歳で頭をなでなでされるなんて僕くらいじゃないだろうか。いいプレーで頭をなでられ、良くないプレーでしかられる。この年齢になっても、繰り返し咲く花のように、駆け出しのころの初心と原点に返っていける。
ささやかであってもデビューへと至った周りの人たちを、みなさんも祝福してあげてください。もちろん1試合出場したくらいで僕は納得なんてしない。残る5週間、これからの人間として、自分自身の財産となるものをつくっていきたい。
欲も出てくる。日本では「相手にいい攻撃をさせないこと」がプレーの前提にあることが多いけれど、こちらでは守備の意識よりも攻めの姿勢が先に立つ。やらせない、という意識の薄れからか、練習から思った以上に僕もゴールネットを揺らせる。公式戦でも狙いますよ。