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プロって、なること自体はそう難しくなくても、プロとして生活の糧を得て、生きていくとなるとまた別の話になる。Jリーグの始まった30年前も、今も、30年後もそのハードルは変わらないんじゃないかな。
選手を続けてきた立場でいうと、この30年での「流行」というよりは「不易」のほうに思い当たるよ。「今は昔とは違うんだ。左ウイングも守備ができないと試合には出さないぞ。相手SBが上がってきたら君がついていき、クロスも君が止めろ」。今どきのJリーガーが言われそうなことでしょう? これ、35年前に僕がキンゼ・デ・ジャウーで指示されたことです。「今は技術だけでは勝てない、走れなきゃダメだ」と、当時も怒られたもんです。
リーグの進歩を語るとき、目線は華やかなピラミッドの頂点に向かいがちだ。でもまだまだ苦しい現状のJ3やJ2の選手、クラブもある。社会人チームから選手を引き抜く際に「給与はゼロ、歩合払いだけど来てくれるか」とお願いせざるを得ないJ3クラブもあると聞く。
僕のいるオリベイレンセも、観客動員は多くないしクラブをどう維持できているのか不思議でもあるけど、4部や5部をさまよっても人々に支えられ、2022年で百周年を迎えている。
クラブ百年史に残された大昔のスタジアムの写真。骨組みに現存のスタンドの面影が見て取れる。絶えることなく、積み重ねられた歴史の厚みが感慨を誘う。
「プロリーグの成功とは、社会からスポーツの存在価値を認められることです」。ブラジルから帰国した1990年、僕は公言した。現場の選手だけでなく、例えばサッカーを撮影するカメラマン、会場設営の裏方さん、サッカーに携わる様々な人々が食べていけてこそ成功なんだ、と。
かつてはGKコーチは見当たらず、用具係なんて職業はなかった。今では「ホペイロ」が確立し、各種のスタッフ陣が職として成り立っている。地域の人々を豊かにしたい、介護などの課題でも手助けができないかと、サッカーを飛び越えてでも社会に貢献する団体になろうとするクラブもあちこちにある。
「こんなところにスタジアムがあるの?」。ポルトガルの山上の道の途絶えたさらに先、崖のそばの奥地へ先日、アウェー戦で赴いた。そこにもサッカーは息づいていた。日本も同じ。サッカーに触れる場が、それぞれの地域ならではの形で芽吹いている。30年前に描いた理想の未来に、少しずつ、でも大きく近づいているんだと思う。