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「試合に出たら4点取れるぞ!」。6人対6人のゲーム形式の練習でハットトリックをしたら、スタッフから調子のいい言葉が飛んできた。あのね、去年は4部相当のリーグで2得点なんだからとつっこみたくなるけれども、とにかくオリベイレンセのみんなはポジティブに僕を後押ししてくれる。
この2カ月、まだベンチ入りもしていない。新人の身としてもどかしさや焦りがないといったら噓になる。試合の直前で体に痛みを抱えてしまい、プレーできる状態まで上向いたらまた別の痛みが、というサイクルを繰り返してしまった。とはいえ痛みは小さく、大事には至らず済んでいる。
そろそろゴーサインを出せるけれど、「いよいよだ」とは口に出さないことにします。浮つくことなく目の前の1日に向き合いたいからね。
会社勤めの人たちは節目の年齢に差し掛かると、仕事人生の残り時間を考え始めるという。年を重ねれば、選択肢や可能性は広がるよりは狭まっていく。そりゃあ、僕も似た思いがよぎることはある。契約を結べるキャリアを続けられるか、そもそも体に高い負荷をかけて大丈夫なのはあとどのくらいか……。
一日一日の重みは昔よりも増している気がする。残り時間の意識が、同じ時間を貴重なものに感じさせるのかもしれないね。
「実績も名誉も手に入れて、キングとまで呼ばれ、普通にしていれば生活もできて敬意も払われるのに。なぜわざわざ、難しいところへ行くの?」。ある知人は、ポルトガルへ渡る僕を「理解しがたい」と苦笑いしていた。
周りからしたら、満ち足りていると見えるのかな。でも本人からすれば、そうじゃない。あれもこれも、足りないという感覚に襲われる。そろそろ休んでいいのかもしれないけれど、枕を高くする気にはなれなくて。
サッカーというものに全力であたる営みを「休んで」しまったら、自分が終わってしまうんじゃないかと思う。若い頃からそうだった。カズは何をしていても何歳になっても、どこへ行ってもカズだ、とからかわれそうだ。
オリベイレンセの20代の同僚は、動画で見られる僕のプレーで、全盛期の頃よりも40代や50代の姿に胸を打たれるらしい。「あんたのやっていることはメッシやロナルドでもできない類いのことだ。信じられないよ」
僕はその言葉を額面通りに受け取ることはできない。自分への物足りなさしか感じない。だから、続けられるんじゃないかな。
肉体は大変でも、今の僕には生きているという生々しい実感がある。やらされている人生、という感覚はさらさらない。ここから20得点したら、1部の強豪ベンフィカに逆オファーしちゃおうか。ポルトガルにいるのだから、そんな空想も許されるよね。
先発し続け、点を取りまくることが20代の自分には「成功」で、そのために心をぎらつかせていた。はやる自分を制御できるようになった今は、また違った形で心がたぎる。年々、試合で活躍することのハードルが高まる現実から逃げるつもりは毛頭ない。ただし何をもって成功とするかを問い直してみれば、これからの僕にとって、泥にまみれようが見栄えが悪かろうが「失敗」とみなすべきことなどないのだと思う。人生の残り時間も走りがいがありますよ。