BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2022年10月07日(金)掲載

“サッカー人として”
2022年10月07日(金)掲載

「聖地」は歴史がつくる

 10月9日のクリアソン新宿との一戦は国立競技場で行われる。今の「国立」は一昔前とはまたちょっとイメージが変わったけれども、あの舞台に立つことを心待ちにしている。


 というのも僕らのころの国立は、日本にプロリーグができてワールドカップ(W杯)へ向かっていくサッカーの熱気と分かち難く結びついていてね。日本代表もヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)も大半のホームゲームをさせてもらった。僕の通算ゴールのほとんどは国立でじゃないかな。それも当然で、それだけ試合が国立に集中したから。1990年代半ばまで、大人数を収容できる会場は国立くらいだった。


 決勝、ビッグマッチといえば国立。ドリブルで駆け上がれば4万人のうなり声が体にじかに響く。階に分かれておらず、一つのすり鉢のようにせり上がるスタンド。ぜいたくな平屋みたいだったつくりは、今ではあまり見当たらない。


 ペレの引退試合は6万人以上で膨れ上がった。席が明確に区切られていなかったおかげで観衆を詰め込めたのだと思う。僕もその大群のなかの一人だった。そんな昔の残像がすり込まれ過ぎていて、新しい方はまだピンとこなくてね。


 ブラジルではマラカナン競技場が聖地にあたる。1950年W杯でウルグアイに敗れて優勝を寸前で逃した「マラカナンの悲劇」、それを塗り替える歓喜、語り尽くせぬ悲喜劇がそこで繰り広げられ、ブラジル人にとってのシンボルになった。どこにあるのかという立地や会場の規格よりも、歴史が、あの場所を聖地にした。そこまでたどり着くにはそれなりの歳月が要る。


 収容人数の多い会場が各地に生まれてからは、代表戦の定番会場も埼玉スタジアムへ移った。そこで劇的な勝利、敗北が紡がれ、世代によっては「埼玉」がサッカーの聖地として浸透してもいるだろう。そのなかで新しい国立がどんなシンボルになっていくのか、これからですね。


 では三重県のサッカーの聖地は? 我らがホーム、三重交通Gスポーツの杜鈴鹿。ピンとこないって? いまはそうでも、いいんです。一歩ずつ盛り上げていければ。かつての国立も日産スタジアムも、ドラマを積み重ねることで、ただの会場から特別な場所へと育っていったのだから。