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ワールドカップ(W杯)まで2カ月となり、日本代表もドイツで試合に臨んでいて、ここから自然と盛り上がっていくことだろう。
僕らが予選を勝ち抜き、W杯への扉を開いた時代の熱気と、いまのそれは少々違うのかもしれない。それでも人々が見たいと思うコンテンツとして、W杯は世間に根付いてきたと思う。
今や世界のどこへでも情報がタイムラグなく広まるようになった。昔はブラジルと日本で選手の服装や髪形も違っていたけれど、いまはネイマールの髪形やロナルドのファッションもすぐフォローされるし、レアル・マドリードがしている練習を取り入れることもできてしまう。質が同じになるかは別としてもね。
意識のうえでは大陸や国の境界は消えつつあるんじゃないかな。「ボランチ」はポルトガル語圏にとどまる概念ではなくなって、今のサッカー少年は「ディフェンシブハーフ」の方がピンとこないかも。試合前に組む「円陣」は、僕がいた35年ほど前のブラジルやかつてのイタリアでは見当たらなかった。今では欧州の名門クラブもやっている。メード・イン・ジャパンが受け入れられたみたいに。
そうして様々なものがすごいスピードで飛び交うなかでも、変わらないものがある気がするんだ。
「便利な世の中になったねえ。ブラジルまで24時間で来られるのだもの。船で3カ月もかかっていたのにね」。日系ブラジル人の先輩方から昔、聞かされたものだった。当時と今とで、便利さは違う。でも、人々が便利さに対して抱いた感慨、喜びは同じような気がする。
「今は女性が強い時代だからさ」「遊ぶ時間もなくなって、最近の子どもは大変だよ」。40年前の映画を鑑賞して出会うセリフに、違いよりも不変なものをみる。ありがたい、困ったもんだ、楽しいね。人の根本的な感性って、案外変わらないんじゃないのかな。
鈴鹿では、毎朝ラジオでプロ野球中日ドラゴンズの情報番組が流れる。東京ヤクルトスワローズとの3連戦で村上宗隆選手にひょっとして日本選手最多56本まで本塁打を打たれまいか? いやいや、大丈夫。そんな掛け合いを聞かされ続けて、ファンでなくても楽しくなってくる。野球がそれだけ見聞きされ、文化として楽しまれている証し。4年に1度の楽しみのW杯も、ひけを取るものではないはずだよ。