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今週、鈴鹿サーキットでレーサーデビューをしてきた。ビギナークラスでポルシェを走らせる。一般的な初心者のラップは1周が2分40秒くらい。アイルトン・セナはここを1分36秒台で駆け抜けている。
僕は4分かかった。「1台だけのんびり第三京浜を走っているみたいでしたよ」と見ていた知人はあきれ顔。それほど遅いのに「格好なら誰よりも本物のF1レーサーっぽい」のだとか。
真っ赤なつなぎに高価なヘルメット、足元も一番高そうなシューズ。走る1時間前から気合を入れてめかし込んだら「そんなに早くから着替えなくていいです」とたしなめられた。それでもその日は形から入らせてもらいました。皆さんは酒に酔う。僕は自分に酔って楽しみます。
「自分を疑っている人間の方が運転は上達します」と講師の人はいった。事故など無縁、大丈夫だよとうぬぼれる人ほど危ういという。苦しいのと楽な選択肢があってどちらも成果が同じであれば、楽な方へ走りたくなるのが人のさが。何事も自分に対する厳しい目を持っていた方がいい。
一方で、自信をもって事にあたるには「その気になる」ことも必要だ。不安に駆られる監督は、あれも伝えておこう、これもやっておかねばと、試合前にやたらと詰め込んでしまう。不安を払拭できた状態にある監督は、じたばたしない。
試合後に「きょうの俺、どうだった?」と周りに確認したがるうちは、いい選手にはなれてもトップには立てないとも聞く。評価を他人に求めるだけでなく、自分はこうありたい、こう思うからこうすると意思表示できてこそ一流なのだと。
確かに海外の点取り屋には「俺のゴール、見ただろ?」というタイプが多い。とあるイタリアの腕利きシェフも、「お味はどうですか」とうかがうのではなく「こんなにうまいイタリアン、食べたことないだろう?」という顔で料理を出してくる。自分をむやみに否定するのでなく、いい具合で肯定できるんだろう。
不思議なことに気の持ちようは目に、顔に出てしまう。背中が雄弁に語ってしまう。僕自身も「どうだった?」と尋ねがちな日は調子の悪さの表れであったりする。反省を大事にしつつ、自分をその気にさせるすべも持っていたいね。
しかしながら、サーキットで旧式のミニクーパーにぶっちぎられたときにはレーサーとしての自分の限界を感じました。褒めようがありません。レーサーの方は引退を決意しました。