©Hattrick
いい選手って、条件に左右されない人じゃないのかな。
日本フットボールリーグ(JFL)の鈴鹿ポイントゲッターズに加わった僕は、仲間と一緒にゴールにネットを張り、練習後は自分たちで外して、ゴールも元の場所に片付ける。小学生以来だろうか。
だからサッカーをしたくないなどとは思わない。芝生もいいに越したことはないけれど、マラドーナが全盛期に泥だらけのグラウンドで草サッカーをしている映像がある。足元がぐちゃぐちゃでも関係なし。心から楽しんでいる。アルゼンチン代表で戦っているときとまるきり同じ。マラドーナは場所を選ばない。サッカー選手はこうじゃなきゃ。
去年のリーグ中断期間、個人コーチと僕らの「第1グラウンド」でトレーニングに励んだ。といっても場所は近くの公園、足場はデコボコ。そこで何ができるか、どう練習の密度を高めるかに意識を集中する。何でもない場所も、立派な自主トレ会場に変えられる。
僕が普段、粋な小料理屋や一流イタリアンにばかり行っていると誤解されてはいないだろうか。鈴鹿市の人口は約20万人。僕はブラジルで1万人の町でも暮らしている。バスが通っても住民が見落としてしまうほど車を見かけず、鈴鹿のような町並みもなかった。
いい環境でプレーできるようになり、多少のぜいたくができる身になっても、当時の感覚は体のどこかに残っている。お客さんが500人の試合も、5万人の代表戦もプレーして、バスでの雑魚寝にコインシャワー、ぬかるみも最高峰ピッチも味わった。大抵のことは苦にならないよ。もちろんミラノのカフェも最高だけど、鈴鹿でもチェーン店の定食に納豆を付ければ満足です。
環境が変わると「違い」に目が向きがちだ。だけど違わないことも同じくらいある。Jリーグと能力差はあっても、練習への姿勢や情熱は鈴鹿の選手も変わらない。サッカーをおろそかにはしていない。だから僕も今まで以上に1日を大切する。学んでいく。
ボールとスパイクを携えて「おう、入れてくれよ」と見知らぬ人の輪へ入っていく。「あら、けっこううまいわね」と不思議がられたりしてね。譲れないプライドはある。でも、そこにすがってばかりでも得はしない。
色あせた芝生も、往年の国立競技場みたいだと思えば心は弾む。勉強机がなくても勉強はできるし、いい奏者ならトランペット一つあればどこでもスイングできるだろう。僕も、いいマイクじゃなくたって歌えます。
何年目になろうとも、そんな選手でありたい。