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10年がたっても、東日本大震災のチャリティーマッチで僕が決めたゴールのことを、思い出して語ってくれる人たちがいる。
あの試合はまだ震災の傷痕も生々しい3月29日で、沈痛な空気が日本全体を覆っていた。少しでも何かの力を、明るさを届けられればという思いが、集まった選手や観客、そして見守る人々のなかにもあった。
4万人の観衆が敵味方の別なく、両チームを応援していた。ゴールしたときの地響きにも似た歓声を思い出すと、心が震える。
ゴールを目にしたときの感動を、喜びを、皆さんが語ってくれた。そんな思いの数々が、あのゴールを重みあるゴールへ育ててくれた。向けられた思いの重さが、一つのゴールパフォーマンスを「魂のカズダンス」へと昇華してくれたのだと思う。だから僕の方こそ、皆さんに感謝したい。
ここでカズにどうしても決めてほしい――。見る人が託した思いに応えられたからこそあのゴールも、ワールドカップ(W杯)予選でのゴールも、特別なものとして記憶されるのだろう。
あの歌声で和みたい。あの歌詞に励まされたい。このコントで憂さを笑い飛ばしたい。どんな娯楽にも人の願いがひも付いている。その願いや思い入れに応えるパフォーマンスは、娯楽にとどまらない力を帯びる。
沈むときもあれば、浮かび上がるときもあるのだと、人は僕から読み取るかもしれない。人生が単調なドラマに思えるとき、スポーツは台本の存在しない驚きを思い出させてもくれる。
お笑いのプロは、笑わせるために思案し、試行錯誤し、全身全霊をかける。「もし受けなかったら」という恐怖は並大抵でないと聞く。真剣に練ったネタがあえなくすべったときの惨めさなら、よく分かる。ストライカーも同じだから。
歌手が音の微妙な響き一つにこだわる。役者が身も心も、劇中のヒロインになりきろうとする。命を削るかのように。娯楽というと軽く思われるかもしれないけど、なんであれ心に響くものの背後には、真摯でひたむきな仕事が隠れている。半端だったら、人の心は動かせやしない。だから僕たちサッカー選手も、娯楽の端くれとしてもっと精進しないとね。
「じゃ、達者でな」。映画も、いいものですよ。