©Hattrick
いつも温かい言葉とともに、見守ってくださる方々へ、54歳を迎えたこの場を借りてお礼を申し上げたい。ありがとうございます。
「こんな大人になりたい」と少年時代に抱いたイメージは、自分の父親だったかもしれない。行く先々で女性に囲まれては、寄り添われている。あんな風にもててみたい、と憧れた。
その父はある日、見たこともない車で家に乗り付けた。当時、日本に数台しか出回っていなかったポルシェ911S。「これ、なんで左ハンドルなの?」と興奮して尋ねたのを昨日のことのように思い出せる。自分も稼いだらこの車に乗るんだ、と胸を高鳴らせて。
実は華やかなりしその裏で不義理も働いていたのだと、後に母から聞かされた。「あんたはカッコいいと思っているかもしれないけど、ディーラーの人は泣いてたんだから!」。そういう部分はまねてはダメだと強く誓い、今に至っています。
父なんて遠い存在で、似ることなんてないと思っていた。けれども今、サングラスをかけた自分の風貌を眺めると、ふとそこに父の姿を見いだしてしまう。
大人になると物事の「緩急」が分かってくる。若い頃は何でもかんでも、100パーセントで事にあたりがちだ。だけど常に100パーセントだとミスも増える。周りも目に入らない。戦いでは相手もプロだから、行き詰まる。
そんなときは、少しスピードを緩めてみるんだ。すると加速に転じたとき、より「速く」みせられる。僕自身、体が疲れを知るようになってからの方が、いいプレーができるようになった。うまくいかないなら、一歩引いてみる。歩幅を緩めれば見える景色も変わる。ずっと同じリズムだと乗り切りにくいのは、人生でも同じじゃないのかな。
何かを始めるのに、早いに越したことはない。語学にしたってその方が覚えるのは早いだろう。だからといって、50歳を過ぎて学び始めても悪いことなんて何もない。人は挑戦をしないと衰えていく。筋力も、心のありようも。「年がいもなく」など考えず、挑み続ければいいんだ。プロとしての契約に終わりがあるとしても、サッカー自体は続けていけるのだから。
歌でも歌手でも、ほれ込むと物まねの域を超え、つかれたようにのめり込んできた。異性への情熱も、サッカーに対する情熱も、何歳になっても心奪われているままだ。そう、いつまでもデートしていたいくらいに。