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選手招集に何かと制約があり、試合ごとに“ベストメンバー”を変えざるを得ない近年の日本代表は、どのときの代表が真打ちなのか、一般の方々には分かりづらいかもしれない。
代表にはその時々で「顔」といえる存在がいた。勝っても負けても、その人がひも付けられて語られる人。裏返せば、代表のすべてを一身に受け止められる選手ということになる。
サッカーのスキルに優れるのは当然として、サッカー以外での独特なパーソナリティーも加わらないと「顔」にはなれない。周りの平均的なものとは違う何か、ある種の変態性だね。
かつて石塚啓次という選手がヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の新人時代、ヒーローインタビューを受けた。「いや、よく分かんない」「僕を試合に出したら優勝できますんで」。これが今、まねすべきでない例としてJリーグの新人研修会で引き合いに出されることがあるらしい。
確かに褒められない受け答えかもしれないけど、彼は彼なりの言葉で勝負をかけてもいたはず。「これはダメ」と次々列挙していくだけだと、人の個性はどうしても枠の中にとどまるものになりがち。発言もみんな同じ、無難だけど響かない、顔の見えないものになっていく。
「俺を代えられるのは、俺だけだ」。20代の代表選手なのに当時のオフト監督に豪語したのは、かつての僕。「悪い例」になっちゃうね。そんな逸話を世代別代表である横浜FCの若手にすると、「僕はまだそう言える自信はないです」とうやらましがる。
僕にはそれだけの覚悟があったし、結果で役割と期待にも応えた。口先だけではないと示すんだ、これもプロとしての戦いだ、と自分へ矛先を向けていたのだと思う。
もし僕が不祥事を起こせば、僕個人がすべての責任をかぶるべきで、クラブは管理責任など考えなくていい。自分はそうとらえてきた。プロは個人事業主であり、契約書にサインした時点から言動すべての責任は自らが負うのがプロだからだ。今はどのクラブも、ある意味でしっかりしている。選手管理のルールが整っている。その分、人間性を許容する「枠」は昔よりも狭いのかもね。
代表に初招集された頃、当時の横山謙三監督に喫茶店へ呼び出された。「俺のやり方に従ってもらう」とすごまれる。僕は盾突く。「従いますけど、異議があるときには言わせてもらいます。黙ってはいません」。
5分のはずの会談は2時間の応酬に。だけど、今に至るまで横山さんと固い信頼関係があるのも、真剣にぶつかり合えたからだ。
こう考えると、監督や上司なるものは大変ですね。