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J1を半分終えてみて、見る側に立つと川崎フロンターレはとても面白いサッカーをしている。醍醐味といえるゴールをこれでもかと奪えるし、面白いように全員が連動していく。いっときのFCバルセロナみたいで「これぞサッカー」という感じがする。戦う側としたら、0-1の負けなら「よくやった」と言われかねないくらいだ。
「その川崎も含めてJリーグが進化しているのですか」と聞いてくる人がいるけど、なんともいえない。サッカーが戦術で語られるとき、そもそも何をもって「戦術」ととらえられているのかと、考えてしまう。
辞書によれば戦術とは「作戦および戦闘を効果的に遂行するための術策。戦略の下位の概念。戦法」らしい。とすると、「この試合は守って勝つ」「今日は攻めまくる」といったテーマが戦略なのかな。そのために、どうサイドから崩すか、相手の崩しをゴール前でいかに阻止するか、などが戦術にあたるんだろうか。
3-4-3や4-3-3といった議論がとかく好まれがちだけど、これはシステムの話。それを戦術論というのなら、そういうものは昔からあり、進化というよりは変わっていないという意見も耳にする。
それに、戦術があっても技術が伴わなければ意味はない。トラック競技で記録が更新されていくのと同様に、スピードや体力などフィジカル要素はサッカーでも進化する。ただし走るにしても、いつ、どこで、どう走るかが大切で、ただスプリントするだけでは技術じゃない。それでは勝てない。スプリント数や走行距離の数字だけでは表せない何かがあるから、足がさほど速くなく、背が低い人でも、選手として生きていけるんじゃないかな。
ともあれ、特殊なはずのリーグ戦の日常にもなんだか慣れてきてしまった。試合前は先発と控え組が別々に2つの控室を使い、これまでとは雰囲気が違う。声援の響かないスタジアムにも最初は違和感があった。果たして選手の気持ちは高ぶるのかなと思ったけれど、もう当たり前のものとして感じるようになっている。白熱する試合も増えている。
練習し、整え、出場を果たす。自分のサイクルは変わらない。ある状況ならその状況下で、全力を出せるようになっていく。そしてピッチに立つ間は、コロナ禍のことは頭から拭い去られる。僕たち人間には、対応・順応する能力があるんだなと、改めて気づく。これも一つの技術なんだろうと。