BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2020年10月23日(金)掲載

“サッカー人として”
2020年10月23日(金)掲載

外に出てみるとみえてくる

 旅をすると、それまでと違う価値観で物事をとらえられるようになる。自国、あるいは自分を、違う視点で眺めはじめる。日本にずっと住んでいると日本の常識や考え方に凝り固まりがちで、客観的に「日本」という国をみられない。サッカーも同じ。外に出てみると、日本のサッカーなるものがよりよくみえてくる。


 欧州でプレーする選手たちは、戦いの旅をしているようなもの。彼らが日本の外で身につけていることが、日本代表のオランダ遠征でも表れていたと思う。


 吉田麻也選手も冨安健洋選手も、アフリカのFWを相手にすることに慣れていたね。吉田選手などは4年ほど前、「自分はJリーグでやるイメージがわかない」と言っていた。今ではイングランド流に勝負してくるFWの方がくみしやすく、駆け引きもしやすい。「こちょこちょ」と俊敏性の高い東南アジアや日本のFWの方が苦手、だと。


 かつて横浜FCにいたブラジル人FWがさえない日があった。ドリブルで相手を抜けない、パスもダメ。ところがコーチには褒められる。「守備でよく頑張っていたぞ。ナイス」。こんなことはプロになって初めてだ、と戸惑う彼。母国だと守備を頑張った程度でFWは褒められない。攻撃に何らかの貢献をしてこそ称賛される。


 僕はそのブラジルでウイングだった10代のころ、ともかく勝負をしかけていた。何回ミスをしたかより、何回勇気を持って挑んだかを周囲はみていて、その勇気をたたえもする。1、2回でも成功すれば「よくやった」と評価されたものだった。日本だと案外、ボールを失うことが「ミスの多さだ」とみなされ、割と失敗の方がフォーカスされるね。


 イタリアなどはボールを奪って攻めへ転じる状況で、少しでも前が空いたならスピードを緩めずゴールへ向かうべしとされる。そこで日本でやるように味方の攻め上がりを待つ、ボールを下げてより確実に作り直す、なんてやったら即座にブーイング。“技術の高い選手”のとらえ方ひとつを挙げてもところ変われば千差万別、ギャップがあるよ。


 そんなことが見えてくる旅そのものが今は難しいけど、「男はつらいよ」でもみれば旅の良さがわかるんじゃないかな。運命を左右する待ち合わせで主人公とヒロインがすれ違う。今だとすれ違いなんて起こらない。互いにスマホでメッセージなり写真なりを交わせば、どこでも会えちゃう。


 でもこう便利すぎると、風情も薄れてね。人が人と会えることの重み、その時間や待つ心の大切さだとか。会えない時間が愛育てるのさ、だったんだけど。