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イタリアのホテルにいる僕のもとへ、一本の電話がかかってきた。1998年、ワールドカップ(W杯)メンバーから落選し、4日ほど日本から離れていたときのことだ。ジャニー喜多川さんが、どうしても話したいことがあるという。
「みんな、カズの味方だから。みんな応援している。心配しなくていい」
自分をコントロールしないといけないよ。そう伝えたかったのだと思う。外れたことへの愚痴、ねたみ、恨み節、「なぜ俺が」などと負の感情に身を委ねてはいけないよ、と。「大丈夫です。記者会見もしっかりやります」と僕は応じた。
一つの言動や振る舞いが、人の心をつかみ、あるいは逆なでし、人生の風向きを変える。経験からよく分かっていたジャニーさんは、僕に道を踏み外してほしくなかったのだろう。
1979年秋の大人気ドラマ「3年B組金八先生」に乗って、翌年に田原俊彦さんら「たのきんトリオ」がブレークしてからのジャニーズは隆盛一色。ただし見落とされがちだけど、その前の3~4年は鳴かず飛ばず、事務所が傾きかねなかった。芸能の世界は成功物語が華やかに語られはしても、失敗は表に出にくい。でもジャニーさんでさえ、失敗を繰り返し、そこから学んでいたと思う。
感受性を10代の若者と共有できる、思考の柔らかい人だったのだろうね。僕も世代間の溝は感じないたちだけど、ああやってヒットの芽を嗅ぎ分ける感性は持ち合わせていない。
だって僕の兄貴分、30年来の付き合いになるトシさんも見いだされた一人だけど、デビュー初期に歌が得意だったかというと……。レコード愛好家の友達に「これは聴かない方がいいかも」と進言してしまったくらいだから。その人が事務所を支える大スターになる。目の付け所が違うんだね。歌も聴き直してみると、どこか陰のあった演技とコントラストをなす「陽」の味わいがあるというか。
70歳や80歳でも歌い続ける歌手がいる。人知れぬボイストレーニングで、商売道具たる喉を鍛えて。僕らも同じだ。キック、ドリブルにトラップ、ボールを意のままに扱うこと。自分が何で身を立てているのか、根本に立ち返らなきゃ。
こう話していると、朝まで歌いたくなってくる。