BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2019年06月21日(金)掲載

“サッカー人として”
2019年06月21日(金)掲載

枠の外でもまれてみる

 日本人という目線を離れ、肩入れなしに南米選手権の日本-チリ戦を眺めたとしたら、チリの選手たちがより「速く」「うまく」みえたんじゃないだろうか。


 筋力や有酸素運動のテストなら、日本代表の選手の方が数値はいいかもしれない。チリ代表の多くはオーバー30歳だ。それがピッチ内に限っては、一瞬の出足もボールへ詰め寄る鋭さも、あちらの方が速くなる。


 かつて鹿島アントラーズにジーコがやってきたとき、ベンチプレスをさせると30キログラムしか上げられなかったという。ただしことサッカーでのボディーコンタクトとなるとジーコの方が負けなかった。


 アウトサイドでこすり上げたり、足の裏で球を手なずけ、またいだり。サッカーをするうえでの確かな技術のうえに、自分が蹴りやすい蹴り方で蹴るといった色を南米勢は持っている。うまくて、強く、楽しいね。


 今でこそ減ったらしいけれども、南米のストリートサッカーで育った選手は早くから大人に混じってサッカーをする。大人に吹っ飛ばされ、ケンカもして、何とか負けないすべを探る。無差別でもまれることが、あの頑強さやメンタルの土壌にあると思うんだ。「大人げない」といった日本的配慮はそこにはなくてね。僕が小学校を訪問すると、子ども相手のゲームでもつい本気を出してやっつけちゃうのは、その名残です。


 僕自身はサントスやブラジルの田舎で鍛えられたころ、「南米は違う」などと気にしすぎなかったのが良かったのかもしれない。さすがに同世代のとてつもないすごさにはカルチャーショックを受けた。でも現地で一歩ずつ歩んでいるうちに、いつの間にかドリブルが通用し、ぶつかられても飛ばされなくなり、ポルトガル語で相手に詰め寄っていた。南米でもやっていけると思えたのは、「あいつらと俺は一緒だ」と感じ始めたころじゃないかな。


 日本代表が海外の大会に招かれるのは1995年、僕らの時代のアンブロカップがはしりだろう。ブラジルに立ち向かい、イングランドに1-2と善戦。得がたい経験がうれしかった。あの時も感じた差は、どれだけ頑張れば埋まるのかと気が遠くなるけれど、それでも南米選手権で戦えるなんてうらやましい。守られている枠の外でもまれることで、普段は見えなかったことに気づけるからね。