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僕がブラジルにいた1980年代の南米の人々にとって、コパアメリカ(南米選手権)はともするとワールドカップ(W杯)と同列に重きを置かれる大会だった。南米でのプライドを維持していくため、とらねばならないというような。
1987年アルゼンチン大会、勇躍するマラドーナをブエノスアイレスで目撃した興奮はいまだに忘れられない。続く1989年ブラジル大会のセレソンは1994年W杯の骨組みとなった陣容で、2トップがロマーリオとベベトという後のW杯優勝コンビ。
マラカナン競技場で飾った優勝も鮮烈だったけれど、何がすごいかといえば、そのチームと間を置かず「横山(謙三)ジャパン」が親善試合をしていること。おおよそシュート数は30本対2本、ハーフラインさえ超えさせてもらえなかった。それでも優勝メンバーと手合わせできて、ちなみに現地滞在費はあちらの協会持ちという優待ぶり。それと同じような、またとない経験が今回の日本もできるということだよ。
往時はジャッジにも南米は南米、アラブはアラブといった色があった。露骨な南米ルールみたいなもの。南米開催での南米選手らは本気モードもいいところで、汚いくらい、とにかく激しい。親善試合で来日する南米勢とは、同じようで別物。
1次リーグをくぐり抜けるのは、ある意味でW杯ロシア大会よりも難しいと思う。あの激しさの渦にフワリと乗り込んだら、痛い目に遭う。ちょっと信じがたい未体験ワールドも味わうんじゃないかな。それを体感できることが大きいよ。
そうやって大陸ごとの選手権はそれぞれご当地色が出る。欧州は欧州、アフリカはアフリカ、南米は南米でハングリー精神丸出し。
先日、横浜FCの22歳が試合でのプレーをみんなに褒められた。僕は南米ルール風にあえてクギを刺す。「お前、そんなので満足してないよな? 活躍といってもJ2だぞ。満足したら終わりだぞ」。今よりも上にいく、だからきょう、この試合で成功するんだ――。そんなぎらついたマインドは、コパへと向かう久保建英選手にもあるんじゃないかな。
18歳の彼が代表入りできるということは、52歳の僕も入ってOKということ。コンディションが万全なら辞退しなかったんだけどなあ。ともかく南米の地で彼と競演したかったよ。まだまだ上にいけると、僕も自分を疑っていないからね。