BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2018年03月02日(金)掲載

“サッカー人として”
2018年03月02日(金)掲載

自分を語るということ

 どちらかというと日本人は、自分の口で語ることがうまくないかもしれない。僕の接した外国人は、自分というアイデンティティーを強く持っていた。サッカーや人生に対する確たる考え方を。ブラジル人はブラジルのサッカーが一番と疑わず、イタリア人はイタリア人で「それは我々だ」と思っている。その信念から豊かな言葉が生まれる。


 プレーが上手でも、語りは不得意な選手もいるかもしれない。「仕事」の範囲をどうとらえるか、だろうね。プロ選手は組織に属しつつも個人事業主でもあって、自己プロデュースの能力もある程度身につけなきゃならない。ピッチ内でも外でも、自分の価値は自分で上げるしかないから。


 かくいう僕も、15歳までは内弁慶だった。静岡に住む限りは家族がいて、勝手知ったる環境もあり、みんな似た価値観で暮らしている。そこから一歩出ると萎縮するというか、サッカーでも話すことでも、うまく自分を表現できずにいた。


 これがブラジルへ飛び込んだとたん、言葉が違う、食べるものも違う、習慣も違う。自分から溶け込まないと、生きてもいけない。もう萎縮しているヒマすらなくてね。自ら動かなければ誰も助けてくれず、自分で壁を打ち破っていくしかない。だから積極的に現地のものを食べ、積極的に言葉を発した。


 15歳まではさほど負けず嫌いでなかったはずが、何事であれ負けたくない、勝ちたいという性格になっていった。人前でも自分の言葉で自分を説明する表現力が、そこで身についたように思う。


 日本ならメディアから「きょうの調子はどうですか」と聞かれ、おおよそ選手が答えた通りのままに載る。サッカーを報じる側が自分の意見を展開することはまれ。これが海外だと、選手の声というよりは自分の意見しか、書かない。ちゃんと書いてもらいたくて、しっかり言葉を尽くさなきゃと、逆に鍛えられた面もあるよ。


 ちょっと余分にしゃべりすぎたかな、というときもある。51歳の誕生日の翌日も、そうかも。「しゃべらない」のも案外、難しいんだよね。秘め事のある人が黙っていられず、やたらとしゃべってしまうように。


 一つ言えることがある。僕らのように人前に立つ仕事の人は、批判を恐れて何も言えなくなるくらいなら、その仕事は辞めるべきだ。サッカーも同じ。うまくいかない困難な状況で、しゃんと話すのは易しいことじゃない。でも苦しく悲しく話しにくいときほど、しっかり語るべきなんだ。いいときは誰でも「いいよ!」とスラスラ言える。そうでないときこそ、その人の人間性が分かる。