BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2017年10月27日(金)掲載

“サッカー人として”
2017年10月27日(金)掲載

どこでも、やるよ

 選手が一番行きたいチームへ、必ずしも行けない。ドラフトと聞いて思い出すのは、過去のそうした物語。自分の道を自分で選べないかもしれないこの制度は、自由と民主主義の米国で広く採用されてもいる。


 僕にはドラフトの経験はなく、プロ駆け出し時代でいえば、道は選ばなかった。経験が積めるなら、自分を使ってくれるのなら2部でも4部でも「どこでもやるよ」という気持ち。選択として迷ったのは、清水エスパルスから誘われ、移籍するかヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に残るかを迫られた1992年かな。僕はサッカー人気を確実なものにするには、故郷の期待に応えるよりもヴェルディでプレーすべきだと決断する。成長につながる道を常に考え、選んできた。


 A社志望のはずがB社へ進む。与えられた役割や環境が想像と違い「こんなはずは」と戸惑う。よくあることだ。ただ、少々の違いで戸惑うのも考え物でね。監督がブラジル人に交代した今の横浜FCでもそう。目標へのアプローチも練習も前任者とはかなり違う。すると一つ一つが気になってしまう選手もいる。「ああ言っているけど……」「この練習で大丈夫?」。理想のイメージが別にあるからか、必要以上に不安に陥り、視野が狭まるというか。


 僕はそこまで動揺はしない。その辺の感覚はブラジルの寮生活で鍛えられてね。眉をひそめる行動をする同僚もいて、でも時には一緒に交じってバカになり、折り合って、なじむことも学んで生きてきた。人生には、取り得た道ならいくつもある。でもあり得たかもしれない人生より、選び取った今日の方が大事だからさ。


 周りは代表クラスの先輩だらけだった中学時代、「大人になれば自分が上になる」と信じ切っていた。ブラジルへ行けば越えられると、ブラジル行きも決まっていない時点から疑わずに。そんなサッカー人生、これまで下した選択は全て正解でした。サントスを離れ転々とし、CRBやコリチーバを渡り歩いたのも正解なら、日本へ戻る決断も正しかった。クロアチアへ飛び込み、京都パープルサンガの招きに応じ、ゼロ提示を受けた末に選んだヴィッセル神戸でも実りは大きかったし、横浜FCを選択したのも正解。


 そう言い切れることが、精いっぱいやってきた証拠といえるんじゃないかな。