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引き分けた日本代表のハイチ戦だけど、僕はいい親善試合だったと思う。90分のうちにガラリと展開が変わる、サッカーはそういうものだ。冒頭15分だけ見れば6点ほど入りそうな流れ。でも1点返して相手はがぜん力を得た。おかげで日本はいろんな状況と向き合うことができた。大差で終わる“強化試合”より身になる。面白かったしね。
速いカウンターで攻略するぞと勇んでも、あの日の終盤のようにベタ引きされればカウンターはままならない。この状況は今後も遭遇しうる。そこでボールを動かし、外から糸口をつける。3点目がそうだね。香川真司選手は僕と同じAマッチ89試合目だから、「必ず俺のために点を取るよ」と息子に予言していたんだ。よく追い付いたよ。
ボールを保持する「ポゼッション」だけでは勝てないけど、カウンターだけで勝てるわけでもない。僕個人は、見る側でもやる側でもポゼッションサッカーの方が好き。どんどんボールが動き、選手が次々関わる楽しさがあるし、土台としてその力を持つ方が「その先」へも行けるというか。回し方の質が高ければ、カウンターも含めて攻撃の幅が広がる。保持と速攻の使い分けも、ポゼッションに優れたチームの方がやりやすいんじゃないかな。
やるべきサッカー、やりたいサッカー。どちらもある。ハイチ戦のように状況が二転三転すれば、ピッチで自分が考え行動しなきゃいけない。攻め上がってシュートが決まったとする。それは監督がそうしろと言ったから? いや、自分がそうしたから生まれたはず。主役は選手。自分の判断でサッカーは動くんだ。
一選手が「もう輝きを失った」とたたかれる。「ついこの間まで『救世主』とたたえられたのに。急すぎない?」と知人が首をかしげた。何でもそうでね。立場が違えば批判も簡単だなと。失言から辞任した某大臣は、野党時代は当時の大臣を糾弾していたね。「素人を大臣にしていいのですか。失言が過ぎます!」。
仮に品性に欠ける行為があったとする。それを批判するにしても決めつけが過ぎると、なじられる側よりもなじる側の品性が疑われもするよ。見方はそれぞれ。選手の輝きも、ポゼッションも。