©Hattrick
僕がゴールしたのが観客5千人の試合であっても、日本のどこへ行っても「ゴールおめでとう」と祝われるのは、メディアを通じて見てもらえるからだ。
そこでの発言、振る舞い、服装。すべて気にすべきだと思う。髪形、肌のつやまでも。整体師なら僕の姿勢、アパレルの人は僕の服を、美容師さんは髪形を。様々な視点から選手は見られる。「肌のつやが悪い」という観点で僕を把握する人もいるかもしれないからね。そこでの印象一つも興味、話題になるのがプロなわけだ。
その意味で僕らは油断ができないんです。ピッチを離れても「見られている」意識を緊張感として持てる人は、大変だけど成長もするね。
サッカーのことで話題になるなら、悪口でも何でも構わないと僕自身は考えてきた。ブラジルで育ち、ピッチでひどい言葉も浴びたけど、それもサッカーの一部と割り切ったというか。
ただ一昔前ならとがめられなかったことも、問題視され得ることを注意しなければいけない。中国でプレーするアルゼンチン人のラベッシが、目の端を引っ張るつり目のポーズをとって写真に写ったところ「侮蔑、差別だ」と大きな批判を招いた。ラベッシは「差別の意図はなかった」と釈明している。あのふざけ方自体はブラジルで僕もよく目にしたものでもある。でも表現に敏感に反応するのが時代の流れ。
見方を変えると、昔のようには言いたいことを言いにくいかもしれない。テレビではコメンテーターが意見を明確にするよりも世間からたたかれないよう気にして、番組の特色も面白みも薄れがちと聞く。言葉を選びに選ぶ状況では、出にくい個性もあるのかもね。
今の時代にずけずけと発言できる選手は、覚悟も実力も違うんじゃないのかな。孤独になっても嫌われてもいい、というような。イブラヒモビッチともなると発言もすごいものね。「あなたは神を見たことがあるか」と記者に聞かれ「君はあるか」と逆に尋ねる。「ない」と答えた記者に「君の前にいるじゃないか」。
個性を隠せない人も貴重だよ。マラドーナは母国の宿敵、ブラジルの飲料「ガラナ」のCMに出演もする。映し出されるのはブラジル代表の国歌斉唱シーン。ロナウド、カカ、その列になぜかマラドーナが。黄色いブラジルのユニホーム姿でブラジル国歌を歌っちゃう。ハッ、と夢から覚めた彼は「悪夢だ。ガラナを飲み過ぎた」と枕元の空き缶の群れを恨めしげに……。
ここまでキャラが立つと愛されます。見習うのかどうかは自己判断にお任せしますが。