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サッカーのことだけ考える日々を、かれこれ12月初旬からずっと続けている。自主トレとキャンプのこの時期は毎年、そうだ。
グアムの自主トレでは多くのアスリートの練習現場に触れることができた。話を聞く、自分も試してみる。サッカーに良かれと思えば何でも。あれもそう、これもだ、学べることが多すぎるね。
ストレッチひとつも昔と今は趣が違う。伸ばすこと以上に「ねじる」ことが注目され、ひねりや可動域に重きが置かれる。並行して呼吸を……という具合にヨガの要素も加わってくる。
意識的に使えていなかった体の箇所、例えば小指が、訓練することで思うように動き始める。体のバランスが崩れて片側の膝周りがぐらつくなら、そこに意識を集中したトレーニングで機能を高めて、均衡を取り戻す。こうなるともう筋肉だけじゃなく、脳から発する神経、体のセンサーの向上だ。頭のてっぺんから磨き上げられる感覚かな。
心技体、ベテランになるほど一つといわず、全部大事になってくる。すべてそろわなくても、できてしまうのが若さ。僕らは一つでも欠ければその分、パフォーマンスが落ちる。あのやり方も取り入れたい、この要素もやっておかなきゃ……時間が足りないくらいだよ。
練習法や技術が進展し、様々なことが「いい」と説明付けられるようになった。そこには“言葉の誘惑”もあってね。「それは必ずしも必要ないよ」「負荷をそこまできつくしなくていいよ」。それら理屈が間違っているとは思わない。
でも個人的見解としては「苦しまない先には何もない」といつも思っている。効率も追求できるし、理論的に正しい“楽”ならいかようにもできる。ただそこに成長もない気がしてね。
できるなら、毎日倒れるまで走りたい。きつい練習で汗にまみれたい。シュート練習なら100本打ちたい。それじゃあ体が壊れるから、集中して20本、のあたりで折り合うのだけど。50歳も間近でなぜ現役でいられるか、その訳を僕は知らない。そんな理由より、意欲が尽きないんです。もっと自分を良くする何かがどこかにある、と思えてならない。苦労でさえ、したい。
欲が収まるどころか、向上してより貪欲になっちゃっている。いいんじゃないでしょうか、サッカーを追求する欲張りなら。