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自分が何気なく過ごしている1分と、熊本の地震で被災している人々が直面している1分。同じ1分がどれほど異なっていることだろう。東日本大震災の5年前にも思ったことだった。
避難所のトイレはくみ取り式が多く、用を足すのを我慢しがちになると聞く。だから水分を控えがちになり、そうなると無意識にあまり動かないようになってしまい、体に悪い方、悪い方へ陥りがちなのだという。「普通」に過ごせない大変さは、今の僕の何倍ほどか。そう想像を巡らせてみても、当事者の方々のつらさに追いつくことはできない。
サッカーの試合をしていていいのか。ゴールが生まれたからと喜んでいいのか。4月17日(2016年)の東京V戦で先発するにあたって、色々と考えた。カズダンスは踊るべきか。被災地のためにどう振る舞えば……。でもいったん、「○○のために」とあれこれ考えているだけなのはやめた。何が適正で、余分なのかは、分からない。でも目の前に試合はある。まず自分ができること、全力を尽くすことに集中する。疑問を抱えたままプレーするのなら、しない方がいい。
前半、自陣ゴール前で失点寸前のピンチ。シュートをブロックしに体ごと突っ込んだ。膝、腰、どこに当たったか分からない。とにかく止めた。激しくぶつかったのに、不思議と痛くない。集中のおかげでアドレナリン全開だったんだろう。練習だったら「ケガするんじゃ」とひるみそうな場面なのにね。
66分で交代するまで走行距離はチームのトップ3だった。僕はピッチでやたら動いているように見えるみたい。49歳のFW、走りすぎ? そんなことはない。だって味方の誰も「カズさん、動きすぎです」と制してくれないよ。むしろ「いえ、守備を助けるためあれくらい走ってくれないと」だものね。でもこんなの、どうってことないんだ。被災した方はもっと苦しい時を過ごしているのだから。
助けるべき立場の人間が悲しみ立ちすくむだけでは、物事は前へ進まない。自分の使命に耳を澄ます。それが責任であり、仕事であり、それがサッカーであるのなら100%の素晴らしいプレーで応えたい。そのスタンスに支援のメッセージを込めたい。そしてもう少し時間がたって、「日常」のありがたみが戻りかけたなら、僕らスポーツも何かの力になれる時がくる。