BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2016年04月08日(金)掲載

“サッカー人として”
2016年04月08日(金)掲載

海外での「孤独」バネに

 一体何が香川真司選手たち欧州組をあれだけ奮い立たせ、こうも長く日本代表で活躍させているのだろう。日本選手としてのプライドみたいなものが、日本にいる選手よりも強いからじゃないのか。先月のシリア戦を眺めながら、そんなことを考えていた。


 これだけサッカー界がグローバル化し、「日本人なんてダメ」という差別や偏見はなくなったとしても、外国人としての見られ方、評価のされ方にはいまだに厳しいものがある。日本は世界で一流国と見なされてはいない。それは社会が自分を簡単には認めてくれない現実でもある。海外で戦う人間には、孤独がある。


 体ひとつでブラジルに飛び込んだ頃、日本人の自分がユニホーム姿になっただけで、ブラジルの人々は物笑いの種にしたものだった。もちろん時代は変わった。でも僕はあの見下される感触を今でも忘れてはいない。異国の存在に注がれる視線の根底にある厳しさを、どこかで意識している。


 日本でなら外見も習慣も同じ仲間がいて、紛れるものもあるだろう。向こうではそうでない。誰も、どこからも助けはこない。自分で乗り越えるしかない。そんな境遇がおそらく、自分は何者かというアイデンティティーを育む。“外国人”の彼らを強くしていく。


 香川選手にせよ本田圭佑選手にせよ、ギリギリの状態になるほど力を発揮するようにみえるのは、そもそも毎日、切羽詰まる局面にいや応なく立たされるからだ。あすが保証されたものでないという現実を自覚した者の強さというか。その感覚は、一度日本の外に出ただけで体得できるものでもない。彼らは外の世界でお金を稼ぐことを一年でなく、何年も続けている。海外挑戦が普通になった今でも簡単なことじゃないよ。その年月で手にしたメンタリティー、日本選手としての誇り、パッション。代表のユニホームをまとったとき、それはJリーグの選手より色濃く表れ、彼らのフットボールを形作る……。


 はじけんばかりに左サイドを駆けた長友佑都選手に、俺は生き抜くという意思を見る。30歳が迫り、いい選手が次々現れる現実にあっても、世界一のサイドバックになるのだという心の声が聞こえる。そこに満足はかけらもない。ダメなんだろうね。僕らも、あれくらい飢えていないと。