BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2015年09月11日(金)掲載

“サッカー人として”
2015年09月11日(金)掲載

違いで喜ばせたい

 日本代表のカンボジア戦を見ていて、20年近く前に自分がワールドカップ(W杯)予選で戦ったスリランカ戦などを思い出していた。あの時もなかなかゴールが入らなかったなあ、と。ペナルティーエリア内にDFが多すぎるんだよね。


 あの頃以上に、今はアジアの下位の国々も外国人監督を招き、失点を最小に抑え、負けないサッカーを戦術としてより明確に敷いてくる。序盤といえどもW杯予選はほんとに大変だよ。今更ながら、楽な試合なんて1つもない。「スリルのあるいい試合」には、まずならない。いわゆる「いい試合」は互いが高いレベルのときに生まれるもの。弱い者同士でも〝いい勝負〟になるときはあるんだけど、レベルの差がありすぎても引き締まった試合にはなりにくい。そこへ「いい試合を期待したのに。物足りない」と望むのは、少し筋が違うかもとも思うんだ。


 3点〝しか〟取れなくても、僕にはカンボジア戦は質が高かったようにみえた。でも解説していた木村和司さんは要求が高いですね。「もっといろいろアイデアをみせてほしいね」と。代表の崩しを別の解説者が「アイデアを感じさせるプレーでした」とフォローしたら、「たいしたアイデアでもないけどね」とピシャリ。あそこまで遠慮がないと、笑っちゃった。代表なら見る者を喜ばせてくれとの思いがそれだけ強いんだろう。欧州のトップで活躍しているなら、並のJリーガーとの違いを見せてくれと。


 宇佐美貴史選手が攻め込んだシーン。僕は「いいシュートだな」くらいしか感じなかった。でも木村和司さんは「もうちょっとタイミングを外すなりして何かできたはずだけど」と、同じプレーにさらに一段上のアイデアを要求する。


 そこでハッとした。僕だってヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)や代表でも、目の前の相手をどう抜き、どうフェイントで裏をかいてやろうかとアイデアを膨らませていたじゃないか。人と違うことをやり、楽しめることに喜びがあった。それがリーグ戦で勝てない今、そんな着想もどんどん薄れて……。勝たなきゃ、どう守ろうか、どう失点を防ごうか。そんな考え一色になっている。これじゃアイデアは湧き出てこないよね。


 ネイマールは相手を手玉に取る。意表を突き、いなし、だませる。トップの舞台でもそれができるから次元が違うのであり、見る人々の喜びにつながるんだ。現代のサッカーはより戦術的になり、より監督の意向が強く反映される分、面白みや自由な発想が失われやすいのかもね。サッカーは楽しまなきゃ。その心、もう一度思い起こしています。