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周囲からの厳しい視線や高い要求、明日はもうプレーできなくなるかもというプレッシャーがなければ、選手は成長できない。批判にさらされることが当たり前のブラジルで育った僕は、いつもそう考えてきた。
「彼? うーん、まあまあいい人だね」。ブラジルにいたころ、そんな人物評をしたら友人に笑われた。「まあまあ、でなくて良い人か悪い人か、どっちかだろ」。まあまあ、が前向きな表現になるのはあくまで日本の文化なんだろうね。だから批評でも「及第点」という評価、多いでしょ。ブラジルやイタリアだと、すごいプレーをすればメディアから神扱い。ひどかったらゴミ扱い。カミかゴミか、どっちだ、みたいに手厳しい。
サントス時代の先輩、ドゥンガなんて、ほんとに怖かった。味方への厳しさが半端じゃないもの、あの人。CKを蹴ろうとする僕の足がビクつくほどプレッシャーをかけてくる。ちょっとヘマをすれば「へたくそ日本人! 帰れ!」。試合中、しかも味方のCKにですよ。
「プロはな、なってからが大変なんだ」と19歳の僕に説いたドゥンガにしたって当時23歳ほどのはずなんだけど、とっくに35歳くらいの貫禄がありました。
厳しさの塊のような彼自身、厳しく非難されながら生きていた。国民からも「あんな運動能力の低い、下手なやつにブラジル代表をさせるな」と。その彼は代表の主将にまでなり、ワールドカップも手に入れる。半端ではない精神力で批判を受け入れ、消化し、打ち勝って。
サッカーに詳しくない女性が観戦して「戦術がすごいって聞いたけど、見ていてもつまんない」と言ったとする。その率直な感想もひとつの真実で、外からの指摘や〝素人目線〟は、自分たちでは気づかぬ一面を学ばせてもくれる。いま僕が3試合で2得点していることにも「しょせんはJ2でしょ」と思う人々だって必ずいるはずだ。どれだけ称賛されることも、一方では厳しい見方もあり得るのだと僕は常に自覚している。
だからこそ僕らは、J2が激しさと、上を目指す意欲にあふれた者たちの戦いであることを、試合で示す。ぶらりと立ち寄っただけの人々の心さえも「また見に来たい」と揺さぶるものでありたい。
選手へ向けられる厳しさを「批判」と呼ぶのならば、批判はあった方がいい。強ければ強いほど、打ち勝って得るものも大きくなる。厳しい声にさらされるほど僕は実感できる。自分がプロフェッショナルとしてその世界に生きていると。