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三陸の海のすぐそば、被災した福島県いわき市の永崎小学校で出張授業をしてきた。子どもって真っすぐでいいよね。「カズさんの家はいくらですか」と遠慮なく質問してきて、僕の恋愛遍歴話に目を輝かせる。作文の形で語ってもらったみんなの将来の夢は、外科医から料理人、ペットショップの店員にディズニーランドで働くことなど、まあさまざま。頭が柔らかく、自由で、縛られていない。
子どもは毎日変化する生き物なんだろう。大人は固まってしまって変わらないけど、子どもは日々、どんどん新しい自分を出していく。このキャパシティーが良い方にも悪い方にも広がり得るということだね。小学6年生といえばうちの次男と同じ。永崎のみんなに比べるとうちの方はませちゃってるけど、大丈夫かね?
彼らは3年生のときに東日本大震災に遭った。今でも思い出すと涙が出てくると聞く。45分間限りの授業では、みんなの心の奥にあるほんとうの部分まではのぞけない。僕はまだ、「死ぬかも」といった恐怖が目の前まで迫る体験をしてはいない。だから被災したみなさんの抱える重さと僕らの感覚との間には、どうしても感度に差ができてくる。「被災地を見てどう感じましたか」と尋ねられるたび、誠実になるほど、いい言葉は見つからなくなる。
でも彼らの作文を見て、ほっとさせられた。「家を建てたい。お母さんを楽にさせてあげたいから」。行間には「誰かのために」という思いの跡があった。両親のことを思うその子は、人を傷つけたり刺したりすることはできないだろう。それではお母さんを悲しませると気づくだろう。誰かのため、と思えること。こうしたものがなくなって、子どもの関わる事件は起きているんじゃないだろうか。誰かのため、と感じられることで我慢が効くことはサッカーにだってある。
「忘れちゃいけない」とよく言われる。ただ以前に話した通り、記憶も痛みの感覚も薄れていくものだ。そのときの感情をそのまま忘れず抱えるのは難しく、つらい。いけない、と押しつけてはいけないものだ。
だからといって、忘れていいわけじゃない。自分たちで行動できるときは行動し、協力できることを協力する。無理なことって続かないですから。支援は回数じゃないし、夢は大きい・小さいの問題じゃない。横浜FCの一年を感謝の活動で締めくくれてよかった。