BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2014年07月25日(金)掲載

“サッカー人として”
2014年07月25日(金)掲載

役割は自分で作るもの

 協会のアンバサダーという形でブラジルのワールドカップ(W杯)にかかわれて、有意義で充実していました。レシフェにサンパウロ、サントスへと、キツキツの日程の合間を縫ってトレーニングの時間をはめ込んでいく。なかなかの綱渡りで、あっという間に「大使」役の一週間は過ぎた。


 足を向けた場所の一つにファベーラ(貧困街)にそびえる教育施設がある。教育から遠ざけられた境遇の子どもたちが、日本からの支援で英語を学んでいた。「英語、話せますか? ベルメーリョ(ポルトガル語で赤)は何色?」。聞かれた僕が英語で応じると「あなた、発音悪いです」と駄目出しされてしまいました。奇麗に整った部屋にいると、そこがファベーラであることを一瞬忘れてしまう。僕がブラジルにいたころは想像できなかったことだ。


 「アンバサダーって一体何」と不思議に思った人は多いだろう。引き受けた僕自身もそう。前例もない。そこで、こう考えた。アンバサダーなるものを自分で作っていけばいいと。役割とは人から与えられるものではなく、自分で作るものだ。ひとところに足をとどめることなく、様々な日系人コミュニティに顔を出し、多くのつながりを作れたよ。自分で行動を起こすことで、生まれてくる何かがある。


 今回、日本は「自分たちのサッカー」にこだわった。自分たちのサッカーで勝たねば、価値も進歩もないのだと。代表選手だけでなく、僕も含めて、見守る日本全体がそうだったはず。


 ただ、W杯は自分を披露すればいいだけの場ではなかった。ときには自分を捨てでも死守すべきものがあった。負けないこと、1ポイントに徹することで次に何かが起きることもある。理想にこだわるのも、離れることも大事。それがブラジルという教室で日本が学んだことじゃないだろうか。


 次回の本番へ向けて、あの3試合を戦った選手たちは、ブラジルの地で経験したことを発信してほしい。プレーだけでなく、形ある言葉で語り継いでほしい。そうすることで日本は大きくなれるはずだからね。


 いろいろと勉強になったW杯だったから、終わってしまったのが名残惜しい。いいですよね、街中が浮つく、ブラジルのあの空気。もう一度ブラジルでやってほしいです。十何年後、4年後といわず、今すぐに。