©Hattrick
「ここでたくさん、プレーしたんだなあ」と思いながら、3月5日(2014年)の代表戦を国立競技場で観衆として眺めていた。日本サッカーがアマからプロへ移りゆく時代、国立でたくさんの試合が繰り広げられた時代の、僕はど真ん中を生きたから。
あのピッチで僕は選手として認められた。国立は日本代表を育てた学びやだった。その場所がなくなることの寂しさはある。ピッチに出ていく前に必ず用を足した、控室横の思い出のトイレをのぞく。変わってないなあというか。ただ国際的イベントを催すには、トイレひとつとっても広さも数も足りないんだろう。国立が刷新され、またみんなの手で違った歴史が刻まれていくことも、素晴らしいことで。
パソコンと同じでアップグレードしていくということだね。サッカー選手だってアップグレードしなきゃ現実に対応できない。僕らは昔の思い出に浸っていてはプレーなんてできない。今には今のサッカーがあり、今の考え方がある。体と頭の中身を定期的に更新していかないと、取り残されるどころか、その世界で生きてはいけないんだよ。
僕の国立での国際Aマッチ29得点は歴代最多、という。これ、当時は国立しか代表戦ができる会場がなかったからで、数字だけ比べても意味がないよ。釜本邦茂さんの時代はAマッチが組みにくく、代表はクラブとの試合が多かった。それを算入すれば釜本さんのゴール数はかなり多いはず。いまの代表選手も国立だけで試合をしていたら僕に近い得点数を重ねていると思うし、逆にいえば僕は埼玉スタジアムなどでゴールを挙げる時代には恵まれなかった。ちなみに横浜国際総合競技場では代表はおろか、生涯得点ゼロ。
ただし数字が語るように多くの得点を取ったのは確かで、それだけ思いも語り尽くせない。1991年、トットナムから奪った2ゴール。ナビスコカップ決勝。1993年と1997年ワールドカップ(W杯)予選。国立での日々は自分のキャリアで大切で、今も生かされて、残っている。捨てたわけじゃない。だからって、それにすがってもいない。新しい国立競技場にもまた限りないドラマが待ち構えていて、歴史が積み重ねられ、だからこそ「聖地」として続いていく。
胸のなかのシャッターを押せばいいんだ。モノや選手の姿形を残せなくとも、心にシャッターがあれば。