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冬の五輪のなかでもソチ五輪はいつになく見入った気がする。朝5時半に起きる習慣のままフィギュアの浅田真央選手のフリーを見る。演じ終えた彼女に感情が湧き出る瞬間。不覚にもといいますか、僕もこらえきれなかった。彼女がたどった地獄と天国を、自分のものとして共感したような。
それ以上に心に残った「顔」もある。あの演技を見届けた佐藤信夫コーチの表情。それは喜びのようであり、悔しさにもみえる。泣き出しそうでいて、満足感も読み取れる。険しい顔つきなのだけれども、これまでの道のりを温かく思い返してもいるようで……。それらすべてがない交ぜで映し出されたあの目、顔は、忘れることができない。
メダリストもそうでない選手も、常にメッセージを発している。人生は自分の力で踏ん張って立つんだ、突っ張るのだと。ツッパリというと不良みたいで死語だけど、もともとは2本の足でしっかりと立つことが「突っ張る」でもあると聞く。
2011年3月11日を境に、人々がスポーツに求めるもの、スポーツが人々に呼び起こすものはより大きくなっているんじゃないだろうか。ソチで浅田選手が生き抜いた絶望と喜びに、震災後の日々を重ね合わせた人も少なくないのだろう。あきらめない心。努力は報われると信じること。チームワーク。きずな。あの日以来、よりスポーツが「みんなのもの」になっているというか。
五輪へ注がれた国民のまなざしを思うとき、スポーツに託された心情を実感するとき、自分も一層真剣に全力でプレーしなければと意を強くする。サッカーもたぶん、何かができる。僕たちサッカー界もワールドカップ(W杯)へ向けて頑張らなきゃ。スポーツの出番だ、とも思うんだ。
47歳の誕生日を迎えてシーズン開幕へと歩み出す。盛大に祝ってくれた方々のためにも、僕はピッチでお返しをする。プレーでこたえる。喜びがなければ人間は生きていけないからね。サッカーで苦しんでいるような顔の若手には、言うんだ。「サッカーは苦しいもんじゃないぞ。練習はきついけど、本来が楽しむもの、喜ぶもんだ。なんでそんなに苦しそうにプレーしてるんだ?」。
人生、頑張っていればいいことがあるさ。言葉にしちゃうと単純でも、これ以上の言葉もないよ。