BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2013年04月12日(金)掲載

“サッカー人として”
2013年04月12日(金)掲載

憧れとしてのヴェルディ

 練習試合ということで、東京ヴェルディのグラウンドで90分間プレーした。僕にとって、日本サッカーの全てのタイトルを取らせてもらったクラブ。思い出がないといったら噓になる。


 かつてこのクラブが毎試合国立競技場を満員にし、知名度も全国区で……。控室で横浜FCのブラジル人選手に聞かせると、不思議そうだ。「じゃあなぜ、今は人気がないんだ。コリンチャンスは2部に落ちようが何をしようが、サポーターの数は変わらないのに」。


 ブラジルのサッカー文化で考えると、ヴェルディの変貌は理解しにくいんだね。僕なりに説明してみた。「ヴェルディの人気は選手一人ひとりの人気で、そこでみんな錯覚したかもしれない」。プロリーグ開幕に伴うブームもあり、一種独特な道をたどったんだろう、と。


 ラモス瑠偉さんはうまかったとよく言われるけど、実際にうまいんだけれど、それよりも球を取られれば相手を削ってでも奪い返す。平日のツータッチゲームの遊びも天皇杯の決勝も、ラモスさんのなかでは一緒。やるからには勝つ、それが一番大事なことでもあるから。


 何かと華麗な軍団と見られていたけど、ダーティーな面も多くてね。小さい頃に前身である読売クラブの試合を見に行くと、後ろから削ってでも球を奪おうとするから友達の父親が怒鳴った。「読売! 汚いぞ! もう新聞取らねえぞ!」。そうは言いながらも試合には引き寄せられていてね。


 本番に強い人間がヴェルディには多かった。練習試合でいいプレーをする選手ならよくいる。練習だから失敗してもいいと前へ行け、相手に詰められてもボールを持っていられる。だけど公式戦だと怖くて球を無難に手放す、逃げる……。


 5万人に囲まれようが何を指示されようが重圧がかかろうが、平気でいつものプレーをするのがひとつ上のプレーヤーなんだ。場慣れ・経験、形にみえない部分で違いがでるのね。柱谷哲二さんなんか、練習より試合の方が速く走れちゃう。


 20年前のヴェルディはサッカー少年にとって、現在のバルセロナでありレアル・マドリードだった。「ああなりたい」という憧れとして同じもの。先日、サッカー少年に夢を尋ねるコーナーを某新聞で見た。「ワールドカップ(W杯)優勝」「メッシより強くなる」「世界の得点王になる」。僕らの時代とは目指すステージがもう全然違う。


 そこにこんな子がひとり。「キング・カズになる」。こういうのも、いいですね。