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カズと聞けば日本の人々はストライカーを思い浮かべるだろう。でも、ブラジルの人たちが僕にイメージするのはウイングなんだ。「ペダラーダ(またぎ)」。ブラジル人のようなフェイントとドリブルをする日本人だと話題になったから。僕も「ウイングをやりたい」ではなく、「ウイングこそ自分」と思っていた。
やがてウイングの仕事だったセンタリングの練習はSBがやるようになった。いまよく見る4-3-3でも、両翼のFWはかつてのウイングではなく外から中へ切り込むプレーをする。サッカーの変遷とともに、僕もいろいろやった。日本リーグの読売クラブ時代には自由に動く2列目、代表ではCFにシャドー、京都サンガ時代はワントップもこなした。
横浜FCではボランチまでやる。3月14日(2012年)の紅白戦では右MF。最終ライン手前まで下がって球をもらい、サイドチェンジしてリズムをつくる。僕が右から内へスライドすると別の味方が外に出る。カバーリングの基本は押さえているから、自由にセッションしつつもバランスは崩さない。そしてゴール前に顔を出して得点まで取っちゃったりする。最近は何でもやっている気がするよ。
みんなが期待するのはゴールかもしれないけど、僕はいま自分ができているサッカーが楽しい。でも気をつけたいのは器用貧乏。この世界、「あいつは全部できる」というのは「あいつはどれもできない」という意味にもなるから怖いんだ。
松井大輔選手(ディジョン)がフランスで活躍し始めた頃語っていた。「MFでいくらうまくても、決定的なことができないとこの先の階段は上れない。10ゴール、10アシスト、数字で示さないと」。最後のペナルティーエリアで何ができるか。本当に何でもできるかが、そこで問われる。
監督に注意されて抑えられてしまう程度の個性なら、半端な個性であり半端な実力なんだ。ロナルド(ポルトガル)はいくらドリブルしても、最後まで奪われずゴールするから「持ち過ぎ」ではなく「エクセレンチ(最高)」となる。飛び抜けた個性、怖がられる存在にならないとね。
もちろん僕は技術・体力あってこそ様々に使われていると自負している。半端に甘んずる気はない。「これだけは絶対」という個性も求めていくよ。例えばMFにボランチ、どこにいても必ずペダラーダはする、とか。