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昨季が終わってから今季に至るまでの僕は、周りからすると例年以上に活動的に見えたかもしれない。ブラジルに渡りイタリアへ飛び、例年通りにグアムで自主トレに臨みつつフットサルの公式戦に参戦し、サッカー関連のイベントにもたくさん顔を出した。いい緊張感のある滑り出しじゃないかな。
こうした行動をストレスに感じ、疲労となっていく人もいる。僕は刺激に変えていくタイプ。挑戦や冒険が、ある種の生きている証に変わるというか。リスクのある選択肢とそうでない選択肢が目の前にあれば、リスクを負ってでもやってみたいたちだと思うね。
1999年、僕はスイスとクロアチアのチームのどちらかを移籍先に選べる立場にあった。現地に自分で足を運んでみる。国の安定度や生活水準の高さならスイス。クロアチアは分離独立から10年とたたず、戦後間もないような混沌に満ちていた。弾丸の痕に至る所で出くわす。折しも国のすぐそばではコソボ紛争の戦火があがっていた。
でも、僕はなぜだかクロアチアを選んでしまう。社会の裏側とまでは言わないけど、一見いかがわしそうなものの裏にある人々の生身の熱気や活気にどうしてもひかれてしまうんだね。
洋服好きの僕を、ザグレブのチームメイトは裏通りの闇市に連れて行く。薄暗い部屋に並ぶブランド品が、いかがわしくも輝いていた。知人のクロアチア人運転手は「イタリアはマフィアの国」と信じて疑わず、ミラノの五つ星ホテルに部屋が用意してあるのに「車が盗まれるから」と、寝る時間になっても駐車場の愛車から離れなかった。
氷点下15度のなか観戦したカップ戦。体感したなかで一番の寒さだったけど、サッカーには熱があった。人々からは「この国はこれからユーロにも加わる。いい国になるんだ」という前向きさが伝わってきた。そんなクロアチアが僕は好きだったし、楽しくて、そこから色々と学びもしたよ。
フットサルへの挑戦に戻れば、僕があそこまでできると周りは思っていなかったみたい。僕自身は「なめてるのか」と思ってました。ある程度できると思わなければ、やりませんよ。
今季も冒険や挑戦をいい方向、いい力に変えていきたいね。自分をどこまでも高めていくうえで。まあ僕の場合、どこで何をしてても楽しいもの。必ずね。