BOA SORTE KAZU

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BOA SORTE KAZU

“サッカー人として”  2011年11月04日(金)掲載

“サッカー人として”
2011年11月04日(金)掲載

アウェーとヤジをくぐり抜けて

 アウェーの北朝鮮戦の体験談を日本代表の先輩から聞いたことがある。1985年。戦い終えて中国経由で帰国の途につく。飛行機のそばで見送る人々が妙ににこやかなのが気になりながら、飛び立ったという。


 中国の大地が見えてくる。空は快晴。そこでアナウンスが響いた。「天候が悪いため平壌に戻ります」。舞い戻った空港には先ほどの人々が立ち位置も変えず、待っていたように手を振っている。「外貨目当てなのかな」と思いつつ、平壌にもう一泊したらしい。


 これが敵地の洗礼かはさておき、アウェーとホームの区別はサッカーの文化そのものとして存在している。ヒデ(中田英寿氏)がイタリアで最も日本と違うなと感じたのもそこだそうで、ホームで攻撃的なチームが、敵地に赴くと「何でそんなに変わるんだ」といらだつくらい守備的になる。


 外国人選手がJリーグのピッチで一番不思議に感じることって何だと思う? サッカーの内容に関係なく、何かしらの声援がずっと続くこと。ブラジルではアウェーチームがボールを持つとシーンと静まる。そこでホームと違った感覚に陥る。日本ではそこまでホームとアウェーを実感するのはまれだね。


 人間はメンタルな生き物だから、敵視を浴びればときに影響されもする。でも今の僕は周囲の状況でプレーが乗る・乗らないはあっても、「落ちる」はないよ。それも経験なんだろう。11試合勝利のない横浜FCの選手がサポーターにけなされ、食ってかかる一幕があった。「名指しでバカにされたのに黙るのはおかしい」。一理ある。ただね、僕はサッカーに関することなら何を言われても腹は立たない。仕方がないと。


 「お前ら頑張っていない」と試合中になじられたとしても、仮に最後の最後で1-0で勝てば、誰もそんなこと言わなくなるわけでしょう? 見ている人はそういうもの。「俺たちだって懸命にやっているんだ」と言い返す選手もいる。でも、一生懸命やったかどうかも、僕らが決めることじゃないんだ。外から見ている人たちが決めることだから。


 ブラジルで最初は「ジャポネーゼ」とバカにされた僕が、やがて「カズ、ばか野郎」とやじられたときは感慨深かった。日本人というくくりを超え、個人として認められたんだなあと。「国境を越えるブーイング」はいいもんだね。