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2000年6月、モロッコにてフランス戦に挑む日本代表のミーティングを思い出す。ポジションが同じブラン(現フランス代表監督)と松田直樹選手を引き合いに、トルシエ監督は僕らの尻をたたいたものだ。「ブランとマツ、何が違う? 何も違わない。経験は差があるだろう、でも能力ならマツは変わらないぞ」。
唐突にこの世を去ってしまった(2011年8月4日没)マツは日本のDF像というものを変えた一人だった。FWを正面からガツガツつぶすDFなら昔から大勢いる。マツは激しさもあれば柔らかさもあり、フィードもできた。「いいFW? たいしたことねえよ」と思える余裕があるから、外国人FWとも駆け引きができる。対戦相手を小ばかにできる、というかね。
あのフランス戦、控えの僕が入念にアップをする隣で、同じく控えのアンリはろくに体も動かしやしない。それが途中出場するなり日本ディフェンス陣をごぼう抜き。「レベルが違う……」。あのマツが小ばかにせずに嘆くものだから、相当すごかったんだなと妙に説得力があって、おかしかった。
元代表選手が地域リーグへ渡り、新しい街のサッカー熱とともに再びJリーグの舞台へ戻ってくる。先人たちがいい道筋を作り、マツも大きな役割を果たしていた。やりたい意欲を絶やさなければ僕らはやり続けられる。そんな生き方の道をマツは残してくれた。
とにかく若い頃のマツは外国人選手だろうが誰だろうが小ばかにできて、僕も「たいしたことねえよ」とみなされた一人だった。敬意を払われるようになったのは彼が年を取ってからかな。若いときはみんなそう。マツほど強気にはなれませんでしたけど、似たような心情なら、僕もあったものね。
でも人は年を重ねていくとだんだん分かってくる。ベテランになればこんな風に周囲へ気を配れるようになるんだな、みんながいるから僕もプレーできるんだな……。それでもプロというものは丸くなるだけじゃいけないんだ。試合に出られなければ「くそ野郎」といきり立つくらい、ギラギラとしていなければ。
マツにはそれがあった。松本山雅からJリーグをにらむ顔つきが「俺はここからはい上がる」と語っていた。あのぎらつきがある限り、道も続いていたはずだった。