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先月、京都サンガ戦(2011年6月26日)でドゥトラ選手(元横浜F・マリノス)の父親に呼び止められた。ブラジルの名門、サントスの熱狂的ファン「サンチスタ」だという。「君をサントス時代から見ていたよ。今日またここでカズを見られたことが誇らしい」。僕は喜びを分かち合った。「48年ぶりリベルタドーレス杯優勝、おめでとう」。
サントスはプロとして第一歩を踏み出した地だ。もちろん僕もサンチスタで、あの白と黒の縦じまに深い思い入れがある。ヴィッセル神戸の一員だったときも「サントスと同じ縦じまを着られる」ことがすごくうれしかったものね。
週明けはビーチを全員で走ったものだった。ビキニ姿が目に入るや、コーチから「Uターン」の号令。美人たちのそばで準備運動が始まる。6キロ競走では僕が20分弱で走り終えるのに、1982年ワールドカップ(W杯)代表の英雄、セルジーニョは40分たってもゴールしない。ファンと笑って歩いている。何しろ型にはまらない大物で、バスタブにつかって取材に応じたほどだから。
監督は、ペレと戦友だったペペ。同じ左ウイングの僕はセンタリングがうまくいかず、教えを請うたことがある。「ペレは1,300点近く取ったが、500点は俺がアシストしたんだ。当時の俺みたいにやれ」。そう言われても分からないよ。
ドゥンガ(前ブラジル代表監督)は体慣らしのボール回しでも一切手加減しない。遠征で同部屋になり、眠る前に語ってくれた。「プロにはプレッシャーがある。それを乗り越えないと一流にはなれない。うまいやつは大勢いるが、乗り越えられないやつも大勢いる。一日一日が勝負なんだ」。そこで僕はプロたる心得を教わった気がする。
今もサントスのサッカーが面白いのは「予測」がつかないから。「え、そこでそんなことするの」という遊び心に満ちている。ドリブルや一対一を愛し、楽しむ感覚が生きているんだ。
本拠地ヴィラ・ベルミーロのロッカールームの「10」には、ペレの名が今なお刻まれている。用具係が毎日、そこに真新しい練習着をそろえ、ペレ専用スパイクもピカピカに磨いておく。現在の練習場はブラジル代表ロビーニョが欧州に移籍してもたらされたお金で建てられたけど、その名は「ペレ練習場」。何と言っても「キング・ペレ」ですから。その前では「キング・カズ」など海賊版みたいなもんです。