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バスの窓越しにがれきの世界が広がっている。横浜FCは岩手へ遠征し、大槌町など大震災の爪痕が痛々しい地域を訪ねて回った。僕は戦争を知らないけれど、敗戦で焼け野原と化した街もこうだったのだろうかと、思わずにいられない。
あらゆるものがなくなってしまった場所で、なくならずにある「人々の思い」を思う。ずっと住み続けてきた土地や家への愛着、親の代からの思い出。身は避難所に置いてはいても、強い思いまでは消えないはず――。そんなことを考えた。
子どもたちと鬼ごっこやボールで一緒に遊ぶ。寝泊まりしている体育館の隅や、自衛隊の装甲車の脇で遊べてはいても、広々としたグラウンドで思う存分に遊ぶのは久しぶりだったんだろう。みんなとても喜んでいた。被災しているはずの現実を、忘れてしまっているような言葉で喜びを表現していた子。「うれしい」「楽しい」。生きていることへの彼らの真っすぐな感情が、僕らの胸を打つ。
盛岡の社会人チームとの試合に1万3千人もの人が駆けつけてくれた。被害の大きな地域からも約400人がバスで来てくれた。親を失った小学生が一瞬でも悲しみを忘れることができたと語ったという。それがたとえ束の間のものだとしても、やれて良かったと思う。「サッカーを見られて楽しかったよ」。そういう時間を共有できたことが、何よりもうれしい。
寝床もなく、段ボールで仕切られた空間で生活する方々がいる。自分が歯を磨くのを我慢し、その水を子どもに与えようとする親がいる。僕らの「当たり前」の生活は、いかに有り難いものであることか。現地を知って帰ってきた今、僕自身がこれからどういう風に生きるべきか、見つめ直さねばとの思いが強くなっている。節電なり何なり、「こちら側」でできることをしようとの自覚が生まれる。あの場から僕らは何かを持ち帰っている。それを自分の息子や友達、横浜や東京の子たちへも伝えていく。震災から離れた場所でも語っていく。それも復興の一歩につながっていくはずなんだ。
僕らは向こうの被災地に「何かをしてあげたい」と考えがちになる。それは大事だ。でも同じくらいに、それ以上に、こちら側の僕たち自身も変わっていかなければと思うんです。