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子どもは空気なんて読んだりせず、聞きたいことをストレートに聞いてくる。小学校を訪ねると、必ず質問されるのが「カズさんはいくらもらっているんですか」。僕も小学生のころは同じ関心を持っていて「サッカー選手になって一億円もらい、もらえる利息で一生楽しく過ごしたいや」なんてあこがれていた。
ブラジルでは17歳の選手が当たり前のように、稼いだ一万円のうち8,000円を家族に仕送りする。そんな年齢でも自分が家族を支えている自覚が強い。だからハングリーだし、真剣だ。16歳の少年がジーパンにTシャツにかばん一つぶら下げてクラブのテストにやってくるのも日常。一人寂しく、20時間もバスに揺られて。そのままかばん一つで帰っていく後ろ姿を何度目にしたことだろう。「自分の道はこれしかない」という必死さ。なぜサッカーをするのか、出発点が違うんだ。
だから彼らはお金について主張する。試合がテレビ放映されれば「胸スポンサーを宣伝しているのは自分たち」だからと放映権料の何%かを選手に与えろ、観客が大入りなら勝利給だけでなく試合の総収入の数十%をよこせと要求する。主張は当然の権利なんだ。
「自分の意見があれば、僕は言います」。初めて日本代表に招集されたとき、僕が監督にぶつけたのもそれだった。当時は代表にすら、意見する文化がなかった。今では僕も丸くなったけど、クラブから色紙にサインをしろと命じられたら、うるさく言い返していたものね。「何に使うの? 権利が発生するんじゃないの」「肖像権はどうなの」。かつて僕が疑問に感じたことも、今の若い人たちは疑問に思わないみたい。
記者会見にしても「言い合うこと」に慣れてない。「もっと勉強してください」と監督にたしなめられる記者がいると聞く。記者は黙らず聞き返せばいいんだ。「勉強はします。でも素人でさえ感じるこの疑問に答えてください」と。そこから議論は生まれる。素人の疑問の方が人々の一番知りたいことだったりするしね。
もちろん主張するには自分で考えないといけない。人任せにしないことが大切なんだ。もっと考えを口に出そう。この業界に長く携わる僕たちから、まずは主張していかないと。