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北京五輪の男子サッカーは残念ながら3戦全敗だった。結果は出なかったけれど、まず選手とスタッフにお疲れさまと言いたい。
終わってみれば、すべて1点差。紙一重の差というけれど、その紙がかなり分厚そうだ。「相手との差は感じなかった」という選手のコメントを、五輪やワールドカップ(W杯)の後にはいつも聞くが、最近の五輪で8強に残ったのはシドニー大会だけで、あとは1次リーグ敗退。やっぱり、チーム力の差はあるんだろう。
個人では両サイドバックの内田篤人選手と長友佑都選手、競り合いで相手を吹っ飛ばしていた本田圭佑選手は印象深かった。ただ、世界のスカウトたちは、日本より米国やナイジェリアの選手の方を欲しいと思ったはず。個性やインパクトが感じられる選手は少なかった。
五輪代表に限らず、日本人選手は身体能力で海外勢に劣っても、技術では自分たちが上だと思っている。でもその「うまさ」の概念がずれている気がする。日本ではサーカス的な足技を「技術」と呼ぶけれど、それは違う。僕から見ると日本人は器用ではあるけれど、試合で100%生かせる技術という意味では、まだまだ世界にかなわない。
僕が間近で見た元クロアチア代表のプロシネチキや元ブラジル代表のエジムンドは、トラップひとつとってもレベルが違った。本当にうまい選手はシンプルにプレーするものだ。それにピッチが多少荒れていても、変なミスはしない。
サッカーの技術で大切なのはトラップとキック、ドリブル。ドリブルがうまい選手はパスもうまいし守備も上手だ。ヒデ(中田英寿)や鹿島アントラーズの小笠原満男選手もそうで、ロナウジーニョだってよく見ると実は相手のボールを奪うのがうまいんだ。
極端な話、子供のころはドリブルとトラップだけ練習していてもいい。僕も小学生時代は動き方なんて教わらず、試合でもひたすらドリブルをしていた。サッカーで遊んでいた感覚だ。
五輪のナイジェリアの1点目も、ストリートサッカーの延長線上にあるような得点だ。あの芸術的なプレーは選手たちが自分で考えて動いている。早くからいろいろ教えられて頭も体も完成してしまうより、技術というベースを固める方が伸びしろが大きいんじゃないかな。