©Hattrick

新しく社会人になる若者がいて、新しい職場で仕事に挑み出す人々もいて、始まりの季節は初々しいエネルギーに満ちている。
サッカーでいえば、新シーズンへ始動する1月半ばごろ。ゼロからの出発だから、昨年は振るわなかった選手も「今年こそは」と気合が入り、結果を出せたエースも「今年も俺が」とやる気にあふれている。監督やメンバーが刷新されればなおさら「やってやる」というムードになるし、集中力は高く、みずみずしい。
あのエネルギーが1年持続したら、優勝できるのにといつもながら思う。やがて試合に出られる選手・出られない選手が分かれてきて、モチベーションの差があらわになる。顔つきも違いが出てくる。3カ月前、組織にみなぎっていたあのエネルギーはどこへ行ったんだと、思うこと多々ありで。
だから毎年、シーズンの出だしで一言求められたらこう繰り返してきた。「今のこの、情熱とエネルギーに満ちた、やってやるという気持ちを11月まで持ってください」。でも、これがなんとも簡単じゃない。
4月の冒頭、スポーツ用品大手のプーマの新入社員歓迎会に招かれた際にも似たような話をした。「駆け出しの、いわばプロになりたての今のエネルギーを持ち続けてください。でも一番難しいことです」と。なぜか?
働けば、理不尽なことにも出くわす。理想と現実の壁にぶつかる。正義を振りかざすだけじゃ通れない。学校の勉学であれば、一生懸命頭に入れればテストでいい点数が取れるかもしれない。自分との戦いに頑張れば成績は上がるだろう。でもサッカーでは、相手がある。仕事でもそう。理想を貫いても勝てず、「正しい」のに利益が出ないことなどざらにある。
完璧な商品をつくった。ただし商売はつくる人、売る人、買う人の相互作用だ。買う人がいないのなら、どんな完璧もダメだと見なされかねない。自分として「これはいい」はずのことが、否定される。納得いかない。嫌になり、投げ出したくもなる。
4年ほど前のある週。僕は自分でも実感できるほど調子が良かった。動きはキレキレ、紅白戦でゴールもした。監督が寄ってきて告げる。「今週のパフォーマンスは最高だった。戦術的にも効果的だし、状態も良さそうだし、メンバーに入る価値があるプレーだよ」。なのに、ベンチ外だった。
皆さんの仕事人生にも、こうした「なのに」がついて回ることだろう。そういうものなんだ。そこで腐ったら終わりだし、諦めたらそこまで。やり続けるしかない。
嫌気がさしてもう続けたくなくなったとき、サッカー選手で言うならば、ありがちなのは酒や女性といった何かに溺れていくパターン。ただしあくまで私見を述べますと、女性に溺れるのは許されるかなと思っています。
誰かに、何かに、本当にほれ込んだことがあるか。そういう思いをした人とそうでない人では「溺れる」の意味合いは異なる。のめり込み、賭すに値するものが世の中にはある。色々な経験を重ねると、上っ面ではない深い意味での「のめり込む」ことの価値もみえてくる。そうやって仕事に打ち込める優秀な人々、いるんじゃないかな。
大事なのは、自分の軸にちゃんと戻れるかどうか。精力を注ぐべき、これでやっていけるという柱を持てているか。僕であればサッカーであり、サッカーの何だといえば日々の練習、向き合い方。立ち返る原点。
「僕はプロとして40年近く生きていますけど、なりたてのあの頃の情熱、悔しさ、喜びは、今もさほど変わっていません。皆さんも今の心持ちを大事に、持ち続けてください」。輝かしい新人の方々へ贈った言葉に付け加えるとすれば、自分のなかの軸を、つくってください。世の中の理不尽くらいでは倒されることのない強い柱を、育て続けてください。