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僕もプレーしたヴェルディ川崎(現東京V)がナビスコカップ(現ルヴァンカップ)をかけて清水エスパルスと国立競技場で戦ったのは1992、93年のことだ。始まったばかりのリーグを引っ張っていた両チームが、30年を経て、同じ「国立」でJ1昇格をかけて争う。そんな今回のプレーオフには感慨深いものがあった。
5万3千人で満ちた会場の光景が何よりうれしかった。この間、サポーターはどこに消えていたんだと思うくい。でも、あの場にいたみんながみんな、ノスタルジーに浸りに来たわけじゃないだろう。新しいヴェルディ、新しいエスパルスを目当てに足を運んだ人々も相当数、いたはずだ。
最近の東京Vはある意味でヴェルディ色を捨てようとしてきたと、人づてに聞く。監督や強化部長は外部から招かれ、OBは一人、また一人とクラブを去った。過去を切り捨てたのかと思われるかもしれない。でも、断ち切ろうとしたのは歴史そのものではなく、栄光にすがろうとする意識なのだと思う。そしてそれは、悪いことじゃない。
栄光はその光が強いほど、失われたときのショックも大きい。すがりたくもなる。でも時代は容赦なく移ろう。今日の勝者は、明日の敗者。どんな栄光もいつかは陰り、廃れ、現実はひとところにとどまってはくれない。
横浜FCにいたころ、あるクラブに練習試合で赴いた。由緒ある名門と目されるチームだ。シャワールームにカビがみられ、使い古したスパイクがほったらかし、飲み終えたペットボトルはその辺に置かれていた。目立たない箇所なのだけれど、汚れ、乱れている。
どれも小さなこと。でもそこにクラブの低迷が映し出されてしまう。店のトイレ、会社の職場をよくみてみれば、そこが栄えているかどうか、内実をうかがい知れるのと同じように。
そこと同等ではないにしても、東京Vも城福監督が着任した1年半前、すぐさま昇格が現実味を帯びる雰囲気には見えなかった。今では10年前とは違ったクラブが資金力を得てリーグで隆盛している。名門の看板だけでは乗り切れない。それがプロの世界の現実だ。だからこそ、コツコツと改善しながら昇格に至った皆さんの努力に敬意を表したい。
ブラジルのサッカーはペレ抜きでは語れない。現在を語る際でも、ペレという歴史を避けては通れない。Jリーグも、強く華やかなりし往時のヴェルディ川崎に触れずに語ることはできない。栄光は時を超えて生きる。大事だし、消す必要はない。
でも、それは戻るべき場所とはちょっと違う。それ以上のものをつくることを、考えたい。同じことは個人、僕自身に対してもいえる。過去の甘いぬくもりを振り返るより、これから先に見えるであろう、光のまぶしさを信じる。