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アスリートにとって最大の敵は疲労ともいわれる。米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手が右肘の靱帯を痛めたことも、蓄積した疲労が災いしたと聞く。みんなが心配している。
調子がよければ、どんどんやりたい。休みたくない。それが選手というもので、10本のはずのダッシュも体が動けばついつい10本以上やってしまう。多少リミットを超えても大丈夫、と自信が湧く瞬間なら誰しもある。そこで負傷につながるシグナルが出ていても、なかなか気付きにくい。
50歳を過ぎてだろうか、僕が周りの忠告に耳を傾けだしたのは。若手に「むちゃはするなよ」と助言もするようになった。そう言っておきながら、自分はいまだに休み返上で体を追い込んでみたりする。「練習し過ぎ」と言われてきた僕だけに、疲労を疲労と思わなくなるアスリートの心情は察するところがある。
野球のためなら何でもする、野球と関わりのないことは興味がない、というくらいに大谷選手は野球をやることが好きだ。どんどん打ち、どんどん投げる。野球を休む方がストレスになるんじゃないかな。だとすれば、働き過ぎから彼を守るのは周りの役目かもしれない。
僕がオリベイレンセに加入した当初は、56歳ということで周りから気を使われもした。過去形なんですが。
「少しは練習、休んでいいぞ」と優しく扱われたのは最初のうち。僕が休まないものだから、じきに「ミウラに休みは必要ない」となり、56歳がプロで毎日練習することが自然とみなされていく。練習で「守備はそんなに頑張らなくていい」と言われていたはずが、今は「いけ、もっといけミウラ! 守備で止まるな!」と要求が高まるばかり。おいおい、何か忘れてないかい……。うれしいことなんだけどね。
大谷選手でいえば、昔は「二刀流なんてそんな……できないよ」が米国内の常識だったはず。それが投げて10勝、打っても本塁打40本超えとなると、「彼なら二刀流も普通だな」と周りはとらえ始める。「異常」が自然にみえてくる。そうなると、尋常でない負担であっても「大谷選手なら乗り切れるだろう」とみてしまいがちなのかもしれない。
疲労を手なずける秘策はないけれども、僕の場合は「自分がやりたいことをやる」を大事にしてきた。食べたいものを食べる。練習もたくさんやる。休みたいときは休み、遊びたいなら遊ぶ。自宅で悩まない。外に出て人に会い、たわいもない話やその時間を楽しむ。そこではサッカーを頭から取り払う。そうすることで、好きなサッカーにまた打ち込める。
でも結局、いつもサッカーのことを考えてしまうけれども。